昨2019年7/7に放送されたNHK-Eテレ「クラシック音楽館」はN響1910回定期演奏会の録画だった。公演は同年4/19にNHKホールで行われた。
指揮は山田和樹(1979- )で、彼が組んだプログラムは以下の通り。
1)交響詩曲《砧》(作曲時期1942年) 平尾貴四男(1907-53)
2)ピアノ協奏曲(1964-67) 矢代秋雄(1929-76)
ピアノ;河村尚子(1981- )
3)交響詩《ペレアスとメリザンド》(1902-03)
アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)
何れも20世紀日欧の見事な作品である。
それぞれ語るべき事は多いが、今日は矢代秋雄のピアノ協奏曲に絞って少し書いておきたい。
矢代秋雄は1929(昭和4)年に東京で生まれ、幼い頃から豊かな音楽環境の中で育った。極めて早い時期(7歳以前)から作曲を始め、誰に強要されるのでもなく自然に作曲家になる事を志向していたようだ。
10歳より作曲家 諸井三郎につき、14歳からは橋本國彦に学び、第2次大戦が終わる1945年、16歳で東京音楽学校作曲家に入学した。同学年には黛敏郎がいた。
学生時代の作品の多くは、のち、自身の手によって破棄されてしまった。
残っているものの中にピアノ協奏曲(1947)ががあり、園田高弘に献呈された。(但し未出版)
本公演のピアノ協奏曲はこれとは違い、普通に考えれば第2番となるのだが、矢代は敢えてナンバーを付けなかった。想像で言うのは問題があるが、最初の作品にあまり価値を認めていなかったのかもしれない。
卒業制作はピアノ三重奏曲(1949/20歳)で、師 橋本國彦に献呈、首席で本科を卒業した。
その後、同研究科に進み、1951年には、フランス政府給費留学生として黛と伴に渡仏、パリ国立高等音楽院に入学した。
ドイツでなくフランスで学んだ事が、のちの彼の作風に大きく生きる事となる。
オリヴィエ・メシアンの作曲や管弦楽法の授業も聴講した由。
黛は1年で帰国してしまうが、入れ替わりのように三善晃がやってきた。
矢代は、1956年、27歳になって帰国。6年間に及ぶフランス留学生生活だった。
パリ国立高等音楽院の卒業制作は弦楽四重奏曲だったが、これは帰国後初演され、毎日音楽賞の1等賞を受賞した。
1958年には、日本フィルハーモニー交響楽団の委嘱により交響曲を作曲。
1960年、NHK交響楽団の委嘱によりチェロ協奏曲作曲。
1964年、これもN響により、文部省芸術祭のため本題のピアノ協奏曲が委嘱され、作曲着手。足かけ4年の歳月をかけ、完成は1967年となったが、同年度芸術祭奨励賞と「尾高賞」を受賞した。
1968年、38歳で東京藝術大学の助教授に就任。(1974年〜教授。)
日本のクラシック音楽界の牽引車として大いに期待されていたが、
1976年、心不全で急死。享年46歳。ヴァイオリン協奏曲を作曲中であったが、未完となった。
結局、このピアノ協奏曲が実質的に彼の最後の作品となった。
考えてみれば、フランス留学から帰って僅か10年しか彼には時間がなかった事になる。
作曲にはとことん完璧を期す性格で、完成度は極めて高いが、当然遺された作品は数少ない。
交響曲は前述の1曲のみ、管弦楽曲としては《交響的小品》(1950)1曲、協奏曲はチェロとピアノ各1(正確にはピアノ協奏曲は2曲とすべきだろうが)、室内楽曲6曲、他にはピアノ曲が10曲余。
もうしばらく時間が残されていたなら、日本のクラシック音楽の遺産はもっと豊かなものになっていただろうに。
5歳年上の作曲家 團伊玖磨は、その著書の中で、彼の死因を、作曲を続けながら藝大主任教授を務めていた事による心身の疲労であったと断じている。
同書の中では、1歳年下の武満徹が、矢代と同い年の松村貞三に対し「藝大なぞは辞めなさい、作曲だけをしよう」と言ったとも書かれている。
松村は1975年から同大助教授になっていた。
彼等にとり、同世代で超がつく程優れた才能の持ち主であった矢代の死がどれ程ショックだったか、窺い知れるエピソードだ。
このピアノ協奏曲の初演は1967年7/10〜11、NHK放送センターでレコーディングが行われ、同年11/5に放送された。指揮は若杉弘、演奏は、ピアノが中村紘子、オーケストラがN響だった。
公開の場での初演は、同年11/29、東京文化会館において、森正指揮、前述と同じ演奏メンバーによった。
私は、まだ20歳代前半だったと思うが、「現代日本の三大協奏曲」と題された2枚組のLPレコードを買って持っていた。
矢代の死の翌年、1977(昭和52)年度の「文化庁芸術祭参加」を謳っていて、間宮芳生(1926- )のヴァイオリン協奏曲と矢代秋雄のピアノ協奏曲、三善晃(1933-2013)のチェロ協奏曲が収められていた。
オーケストラは全て東京都交響楽団、指揮とソロは、順番に、渡辺暁雄/海野義雄、若杉弘/中村紘子、若杉弘/堤剛。録音は1977年4〜7月であった。
矢代のピアノ協奏曲で言えば、初演と同じ指揮者とソリストである。
このLPレコードはその後どうしたのか憶えていない。アナログのプレーヤーとレコードをまとめて処分した時に、それも入っていたのだろうか。
何れにせよ、愉しめなかったせいだろう、繰り返しこのLPを聴いた記憶はない。アンドレ・ジョリヴェのピアノ協奏曲《赤道》等は、それこそ針がちびる程聴いたのに。
音楽理解の幅も深さもまだまだ不足していたのだろう。
さて、曲の中身である。
構造は一見古典的な3楽章形式に見える。
・第1楽章 アレグロ・アニマート / 自由なソナタ形式
・第2楽章 アダージョ・ミステリオ―ソ / オスティナート形式
・第3楽章 アレグロ〜アンダンテ〜ヴィヴァーチェ・モルト・カプリチョーソ / 自由なロンド形式
通して五線譜で書かれてはいるが、調性はナシ、拍子は甚だしく変化する。
・第1楽章
ピアノソロで始まる提示部第1主題Aは、飛び跳ねるようなリズムと音程差を持つ。この主題は、第1楽章で何度も使われる。また、第3楽章でも現れて、テンションを持続させ、曲全体の統一感を持たせる効能を持っている。
第1主題Aに続き、対照的な長い和音の第1主題Bが現れる。これは金管が微妙にクロマティックな動きを見せる。このAとBとが複雑に絡み合って第1主題群を構成する事になる。
次第にディミヌエンドすると、ピアノが打楽器のように荒々しい動きを見せて割り込んでくる。オーケストラも力強く加わり、両者が激しく斬り合いながらAの頂点を形作る。
Aはティンパニ―に手渡され、穏やかに第1主題部を終える。
テンポはアンダンテに落とされ、第2主題部に入る。第2主題Aは、フルートが、ピアノの途切れ途切れのアルペジオの上で、狭い音域の歌をしめやかに息長く歌う。このメロディは雅楽を想わせもする。フルート(時にピッコロ)とピアノはこれを繰り返して次第に拡大。
ひと呼吸置き、第2主題Bがソロピアノによって提示される。Bはパーカッションでアクセントが付けられている。
やがてオーケストラに移行され、弦楽のとうとうとした歌に、ピアノは激しく挑む。
ようやく長い提示部が終わると、ピアノはダイナミックで華やかなカデンツァを繰り広げる。
展開部は提示部に比べるとかなり短い。
第1主題のAとBがオーケストラとピアノのやりとりで展開され、奇妙な事に、展開部の途中で再現部が現れるというような格好になる。
再現は次第に強さを増し、アダージョ・マエストーソとなってBがオーケストラのトゥッティでfffとなる。
沈静化したピアノソロはモノローグを想わせ、そのあとコーダに入る。これ迄に現れた各主題が弦と木管で回想的に扱われる。ピアノは第1主題Aを繰り返しつつ唐突なエンドを迎える
・第2楽章
ミステリオ―ソとあるように、特異なアダージョ楽章である。
ピアノが指1本で中央のドを繰り返すメロディでスタートする。ド〜〜ド〜〜ド〜〜〜ドドドド〜〜。
これがオスティナートとなり、様々な楽器によって、音色・音域を変えて奏され、本楽章を支配する。
この不思議な楽想は、作曲者が幼児期に病気になって熱を出すとしばしば彼を襲った「恐ろしい夢の思い出」から来ているとの事だ。
オスティナート音形は実に43回も繰り返される。その裏では、弦がグリッサンドで不安を表す。オスティナートがオーケストラ側にある時は、ピアノはユニゾンで、高低差と複雑なリズムを持つレチタティーヴォを歌う。
次第に激して山を築くと、ティンパニがオスティナートを打つ。弦と管は、タイの多いメロディを深い情感もって奏する。
次第に静まり、楽器が減っていくと、最後には再びピアノ1人となって、例のオスティナートを弱弱しく奏する。
最も単純でいながら、人の心を鷲掴みにする強い力を持っている。
・第3楽章
アレグロとなり、木管と絃がユニゾンで、シンクロしにくいリズムの、高低差のある歌を歌う。これは、第2楽章、ピアノソロのレチタティーヴォのモチーフが使われている。
すぐさま3本のトロンボーンがアンダンテにテンポを落とし、狭い音域の中、半音階で蠢く和音をスタッカートで奏する。
以上がこの楽章の謂わば序奏部となり、それぞれロンドのエピソード主題A,Bに発展していく。
ピアノは、第1楽章の「荒々しい動き」を自由に発展させたカデンツァを奏する。
カデンツァから、早い走句と打楽器的なリズムが絡み合ってロンド主題が形成される。
オーケストラの強奏でエピソード主題Aが示されると、ピアノは広い鍵盤を縦横無尽に駆け回る。
ロンド主題とエピソードが様々に活き活きと展開され、長いクレッシェンドの頂点を迎えたところで、第2楽章のオスティナート・リズムがトランペットとティンパニに現れる。
しばらくすると、第1楽章の第1主題Aもピアノで回顧される。
これらがぐるぐると目がくらむように展開、遂にエピソード主題による急速なコーダに突入し一気にエンドを迎える。
全体で27分程。
オーケストラの響きやモチーフの展開では、フランス現代、メシアンの《トゥランガリラ交響曲》やアンドレ・ジョリヴェを想い起しもしたが、個人的体験を昇華させた第2楽章を中心とした構成は、紛れもなく矢代の独創だ。
ピアニストの河村尚子は、これらの複雑で豊かな展開を、何かが乗り移ったかのように見事に弾ききった。
現代的なパンツドレスの半袖から延びる腕は、ある種アスリートのようでもあった。
客席からは猛烈な拍手が沸いた。
求められて演奏したアンコール曲は、
矢代秋雄作曲/岡田博美編曲の《夢の舟》、1960に作られたピアノ独奏用の小品。
ピアノ協奏曲とは違い、子供の歌のような清明さに溢れていた。
〈参考資料〉
『最新名曲解説全集 10〜協奏曲�掘�
執筆 石田一志 他
発行 1980年音楽之友社
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