2/11(木)、シネマイーラ浜松で『燃ゆる女の肖像』を観たあと、車で市内西区入野町の龍雲寺に寄った。
ここには、ダウン症の書家 金澤翔子(1985- )が書いた「般若心経」がある。サイズは16×4mもあって、世界一の大きさだとの事。
いつか観たいと思ってきたので、いい機会だった。
龍雲寺は正確には西湖山龍雲寺と言い、臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号にある通り、佐鳴湖南西の岸辺に建てられている。
今から700年近く前、南北朝時代にさしかかる1330年代に開山された由。
開基は後二条天皇(1285-1308)の孫 木寺宮康仁親王(1320-55)で、彼は本来天皇になる血筋だったが、後二条天皇の異母兄弟である後醍醐天皇(1288-1339)の台頭によって廃位せしめらる事となった。
寺の伝承によると、康仁親王は、南朝方の荘園があった浜松の入野に下向、居館を建て、隣接するこの場所に龍雲寺を建てた。境内には彼の墳墓である五輪塔が残されている。
但し、太政大臣に迄上り詰めた公卿 洞院公賢の123巻にも及ぶ日記『園太暦』(1311-60/南北朝時代の基本史料として扱われている)では、康仁親王は京都付近で没したとなっているため、伝承には疑問も残る。または、開山後京都に戻った際に亡くなり、遺骨を龍雲寺に運んだという考え方もある。
下って、1573(元亀3)年の三方ヶ原の合戦では、開山時の住職が甲斐の慧林寺出身であった事から、龍雲寺は武田方についた。そのため家康軍に攻められ、全山焼失する事となった。
江戸時代に入り、元禄年間(1688-1704)になってようやく再建を果たした。現本堂はその時のもので、兵火前に比べれば半分程の大きさと伝えられる。
新しく建てられた「涅槃堂」に金澤翔子の書はあるとの事で、奥庭「清浄庭」の周囲を巡り、《地獄極楽図》十六幅が並ぶ廊下を通っていった。
「般若心経」はその廊下の向う、涅槃堂の東壁一面いっぱいに常設されている。
涅槃堂が何畳あるのか知らないが、ともかくスケールが大きい。
しかし、圧倒的なのはそのサイズだけでなく、書の力である。
この作品は、2015年、金澤翔子が30歳の時、愛媛県立美術館で開催された個展でのメイン作品として書かれ、縁のあった本寺に、2017年、涅槃堂新築時に搬入設置された。
最後の行に「三十歳 金澤翔子謹書」とある。
金澤翔子は1985年6月、書家 金澤泰子(1943- )を母として生まれた。
5歳の時から、母に師事して書道を始め、20歳で個展、その後、法隆寺,東大寺を始めとし、海外も含め様々な場所で展覧会や奉納揮毫を続けてきている。
マスコミに幾度も採り上げられ、NHK大河ドラマ『平清盛』の題字を書いたのも彼女である。
2015年には、国連本部でスピーチも行った。
龍雲寺では、常設品とは別に、新作による「金澤翔子書展」を毎秋行っている由。(2020年は新型コロナ感染拡大のため中止となった。)
般若心経の前で、母泰子と翔子のポートレート。
他にも何点か作品展示があり、以下は襖に書かれた『一円相』。
説明板の文章をそのまま以下に書き写す。
「一円相とは、禅における書画の一つで、円を一筆で書いたものです。
円はシンプルな形ですが、これを迷いの心なく書くことは非常に難しい。
途中できれいに書きたいという欲が出ると、きれいな円にはなりません。
今回、翔子さんに円相を書いてほしいとお願いをしました。
純粋なお釈迦様のような心で暮らす翔子さんが、自分の心を表すという円相を書いたらどんなものになるのか?興味もありました。
円を書きなさいという師匠の言葉に、翔子さんは円てなに?と。
禅問答のような会話から書き始められたこの円相は、まさに翔子さんの心のようです。力強く、どこか優しい。
翔子さんの母 泰子さんは、翔子さんを帝王切開で出産する日に、空に×の形の雲が3つ浮かんでいて、不吉な予感がしたと言います。
出産後、ダウン症として生まれた翔子さんを前にして、絶望したそうです、これからどうしていけばいいのか?
ただ、その後、一生懸命に翔子さんと向き合い、彼女自身の努力が実って、彼女は日本を代表する書家となりました。今では、泰子さんにとって祥子さんは、絶望どころか日々を明るく照らし幸せをもたらしてくれる存在です。
この円相の中の空白が母胎の中の赤ちゃんに見える、そう泰子さんは言います。
出産前に×で始まったえにしが、いつか〇になったのかもしれません。
お母さま、翔子は〇だよ!と、翔子さんの声が聞こえてきそうです。」
書を堪能したのち、本堂に戻り、その一番奥、暗い場所に鎮座する本尊、阿弥陀如来坐像を観る事ができた。
前掲の康仁親王が京都から持ってきたのではないかとも言われる平安時代後期の木彫仏だが、浜松市文化財情報(vol.11/2009年3月)によれば、正式には京で作られたか当地で作られたかは即断できないとの事。
作者も不明だが、卵型の輪郭、切れ長の眼、優美な微笑、彫りの浅い衣褶等、定朝様式に倣った性格が見え、12世紀の制作と考えられる。
前述の通り、三方ヶ原の合戦時に寺の殆どは焼失したが、小さなこの仏像(高さ60cm)だけは持ち出されて難を逃れたようだ。(現在、浜松市指定有形文化財。)
暗い場所から出て、本堂前の「無量寿庭」へ。
この庭は2013年に造られたもので、砂利による文様が美しい。
作者は北山安夫、京都建仁寺他の造園で知られる。
庭から急な散策路を上がると、裏山には鐘楼があり、更に登ると頂は広場になっていて、銅製の佐鳴湖観音が立っている。
そこから下には、広々と佐鳴湖が見渡せる。
天気が良ければ、南アルプス迄望める事もある由。
更に奥へ入っていくと人家のある場所に出るが、その前の倒木の重なる辺りでタヌキに出会った。いそいそと陰に隠れてしまったので、写真に収める事はできなかったが、そんなものがいるとは。
タヌキも含めていろんなものを見させてもらったが、この寺は、入山料・拝観料ナシ、法要中であっても静かに見てもらえるのならば見学は構わない、写真もSNSにアップするのも可、それが本寺の開かれた姿勢である。
もし拝観内容に満足頂けたなら志を賽銭箱にお入れ下さい、そう付記されていた。
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