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2020年09月01日16:43

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《2020宮城1》防災の日、震災遺構

9月1日は「防災の日」衝撃
クソコロナがいなければ、全国の防災訓練がそれなりのニュースになっていただろうに、もはや話題は岸田政調会長いじめのニュース。クソコロナさえ消え失せた。
そもそもなぜ9月1日が防災記念の日なのかなんて、当時、1歳を迎えようとしていた内海桂子師匠でさえ記憶にあるまい。
1923年9月1日。この日はまさにフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル・ライト館の落成式が催行されようとしていたが、おいらに招待状は届かなかった失恋

チャペル
2020年8月29日。
新幹線を仙台で降り、レンタカーで牡鹿半島へ長躯一直線車(セダン)
三陸に入ると、車に設置されたカーナビは用を足さない。
それだけ、まだまだ復興の工事が進み、新しい道が作られていく。
スマホのナビを頼り、凪に揺らぐ太平洋が見えてくる。9年前に大暴れした海岸だ。
フォト
GO TO宮城の最初の目的地は震災遺構となった《旧女川交番》。
鉄筋コンクリートで堅固なはずの町の交番は、大津波に飲まれ脆くも横倒しとなった。
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撤去を視野に入れていた女川町では、東日本大震災の災禍として語り継いでいきたいという若者たちの意見を汲み取って、今年3月、コロナがじわじわと首都圏に浸透する中、震災遺構としての公開をようやく果たした。

周囲を取り巻くのは、当時の様子を伝えるパネルと小さな歴史。
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『還暦以上は口を出さず』
女川の復興。60歳以上の町民は盾となるだけで口を挟まず、若い世代たちに復興のデザインを任せた、とある。
65歳の引退を受けて、71歳の総理が誕生する。先祖返りがすべて悪いことではないが、自分自身も含めて少しだらしがない。

3.11の被災地は気仙沼、陸前高田と遺構を訪れて、震災地と寄り添っていく気持ちを常に保ってきた。自分の中に、この惨事を風化させてはならないという気持ちを込めて。
石巻・女川も機会があれば訪れたかった場所の一つ。そもそも「女川」を「おながわ」と読むことなど、あの地震がこなければ知らないままだっただろう。
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このパネルを前にして、不覚にも涙があふれて立ち尽くす。
書き添えるなら、この日、1度目の涙。
他人のために己を捨てて身を尽くす姿に触れると、どうしても感動を控えることができない。自分に至っては救援活動なんてできる人間ではない。
でも、できることはする。そうでありたい。涙を拭いて、今を生きよう。
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何ひとつなくなった海岸通りには、まるで都会のアウトレットのような商業エリアが建ち並ぶ。ショッピングにせわしない若者や家族連れはGO TOな人々だろうか。
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その中の一番人気海鮮店『明神丸』で特上まぐろ丼。特上の味にプライスは野口英世わずか2枚でおつりがくる。
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石巻線の終着駅・女川駅は坂茂によって造られた、翼を広げたうみねこのようなスタイリッシュな駅舎が迎えてくれた。
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ギャラリーを兼ねるメザニンには、当時を語る《石巻日日新聞 平成23年3月14日号》の現物。この貴重さと命をつなぐ手書きの記事は、テレビを通して十分に知っていた。
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さらに、後ろを振り向くと千住博作品のポートレート。
その理由は、2階へ上がりすっぽんぽんになると答えが出る。
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《ゆぽっぽ》いい気分(温泉)女川温泉の日帰り施設。
意味は「ぽっぽ」(列車)の駅に「湯」が沸いた。
風呂場を覗いて仰天した。女川というぐらいだから、女の人だらけかと(略)
もとい、浴室の壁画に千住博の作品。慌ててスマホを取り出して撮影したが、湯船にしなびたおっさん2人が浸かっているのを忘れていた。ともすれば、犯罪である。
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しなびたおっさん2人が出湯したあとに、ゆったりと貸切風呂。そして、鹿の親子。
これもまた serendipity 目がハート
ふるちんのまま、倒れそうになったのは言うまでもない。
(つづく)


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https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6215605

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