Stay Home
新生活様式とやらが発表された。名付けて《令和でも暮らし》
潔癖症には心地よい例句が並んでいるが、どうにも無理が多い。
たくさんの人と楽しく談笑することが好きだし、手は洗うけどハンカチを持ち歩いたためしがない。
幼稚園時代から今に至るまで、常に女子に貸してもらってる。これからも貸してね。
あとね、会った人とのメモはあれだ。
そもそも、文化部育ちの理系優等生たちが作ったルール。
体育会育ちの文系カス野郎(←おいら)が守れる素質はない
川オスNOSTALGIC
自宅蟄居のひまつぶし。mixi日記前の海外旅行を記憶に沿って記録。
いつか、また自由に飛べる日が来ることを願って
2007年11月30日9時15分、成田発OZ107便。
わずか2時間40分後、韓国仁川空港着。
渡韓はおそらく4度目か5度目。何れのときも独りぼっち旅行で、ウォーカーヒルへのカジノ旅打ち。その後、ソウル競馬にもチャレンジしたが、韓国競輪・韓国競艇への目標は果たせていない。
この時は、今はなき韓国発のニュースウェイブサイト《オーマイニュース》の日本発刊1周年を記念した『OMN日韓市民記者交流会』の招待旅行。
日本版設立に当たっては、東京都知事候補(笑)鳥越俊太郎を編集長に迎え、一般市民が作る本音のニュースサイト創設を目指したが、鳥越さん、ほとんど何もせずに高額報酬を搾取したばかりか、 セクハラまでも暴走し、あっという間に編集長を追われて、その後もパッとせず3年余りで廃刊撤退となった、通り雨のような存在だった。
考えてみれば、このOMNが今も健在ならば、川崎オスカーはOMNに日記を書いているはずでありmixiとの出会いはないはずだった。
おいらがmixiの経営状態にいつもビクビクしながらしているのは、OMNのトラウマだと思っていただいて良い。
日本代表として参加したのは、有象無象の男子10人。
年齢層は20代から60代。人見知りの人だったり、人見知りじゃない人だったりが、呉越同舟。アシアナ航空のフライトで仁川へ向けて旅立っていった。
スケジュールは2泊3日。文化遺産の観光と日韓歴史の研究、さらには韓国文化に親しむためのチープなイベントも企画されていた。
今、思えば、JTBを通じてもできるわけのない知的な良い体験だった。
仁川から東に行けば首都ソウル。用意されたマイクロバスは北上し、江華島(カンファド)という自分にとっては聞きなれない島が投宿地として選ばれていた。
38度線に近く、軍事的な史実も多いスポットで、研修旅行としては適所といえる。
マイクロバスは島北部の小学校校舎。
金曜からの週末を利用して教室を借り切って、まるで高校時代の合宿のように教室に学習机を並べて布団を敷くスタイル。
OMNからの負担は旅費、移動費、観光費、食費と万全ではあるけれど、この宿泊はもはや貴重でありプライスレス。
韓国代表のメンバーとの交流前に、カンファド観光を2つ、3つ。
《江華島歴史博物館》+《ドルメン》
明治8年に起きた日朝武力衝突『江華島事件』は、ガイドさん曰く「日本に黒船が来航して鎖国を解いたように、実はこの事件が発端となって朝鮮の鎖国政策も開国へ向かったとされている」という説明を、今も印象深く記憶している。
《ドルメン》は、観た通りストーンヘンジのような支石墓遺跡群。
場所はコインドル公園。世界遺産。
《伝燈寺》
ハングルでは《チョンドゥンサ》。
おいらにとって中学生時代に教えられた朝鮮半島の百済・高句麗・新羅という三国。
当時はテストで良い点数をとるためにこの固有名詞だけを記憶したが、そのあとの人生で使ったことはないし、意味もわかってはいない。
それから時を重ねること30年弱。2007年になって、この時に、
「朝鮮半島の仏教伝来は、ここ高句麗の伝燈寺から始まったとされている」とのガイドを受けて、おいらの人生に初めて高句麗が再び現れた。
そういえば、娘たちが中学生のときにも、彼女たちに「一生涯使うことがないから覚えておかなくていい学習」の一つに『百済・高句麗・新羅』を伝えていた。
(つづく)
■会った人はメモ、名刺交換はオンライン 新しい生活様式
(朝日新聞デジタル - 05月04日 21:28)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6071357
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