mixiユーザー(id:6810959)

2019年03月12日00:30

195 view

映画を見ない日の出来事229

映画を見ない日の出来事229

あいかわらず東海林さだおの本を読んでいる。
いまはブックオフで見つけた「丸かじり劇場メモリアルBOX」という文庫本だ。
おなじみの「丸かじり」シリーズの、いわばベスト・アルバムみたいなもの。
680ページと分厚い。
面白いのは収録された100編あまりの食べ物エッセイを、たとえばスパゲッティ・ナポリタンや甘食やチキンラーメンといったテーマを「思い出の味編」としてまとめ、その一群に「ALWAYS 三丁目の夕日」といった映画のタイトルを冠していたことだ。
はじめこそ「仁義なき戦い」や「未知との遭遇」と、映画のタイトルをそのままつけていたが、中盤以降は「男はつらいよ・食いバカ日誌」、「007/チューボーより愛をこめて」となり、さらには「ティファニーで立ち飲みを」、「オデンの東」と続いていく。
東海林さだおの、どの本だったか忘れたが、やはり映画をネタにしたようなくだりが出てきた。
ひょっとして、彼は映画が好きなのではなかろうかとおもった。

東海林さだおと同じ、早稲田大学漫研出身で、彼の生涯の友人でもあった漫画家に福地泡介がいる。
福地泡介は1995年に57歳の若さで亡くなっているが、生前は「ホースケ君」や「ドーモ君」といった4コマ漫画や麻雀エッセイで一世を風靡した人だ。
その福地泡介に映画館で会ったことがある。
会ったといっても、ロビーではなくて、スクリーンの中でだ。
大学生のとき、高校生の頃から見たかった黒木和雄監督のATG映画『日本の悪霊』(1970年)を、ようやく見ることができた。
そのクレジットに「製作 福地泡介」とあった。

福地泡介って、あの福地泡介か????

この当時、すでに漫画家の福地泡介は知っていた。
しかし、クレジットの福地泡介と、漫画家の福地泡介がどうしても結びつかず、そのときは同姓同名の別人だろうとおもった。
のちに、別人ではなく同じ福地泡介と知って、とても驚いた。
いまならウィキペディアで「福地泡介」を調べると、そこには彼が「大の映画ファンであり、劇場用映画2本の制作に携わった」というくだりを見ることができるが、この頃はネットなんてなかった。
そんな福地泡介を友人に持ったのだから、東海林さだおが感化されて、映画好きになったとしてもおかしくない。

さらには、手塚治虫が頭に浮かんだ。
小学生の頃と記憶しているのだが、手塚治虫の「まんが家入門」みたいな本を読んだことがあった。
ご多分にもれず、子どもの頃は漫画家にあこがれていたのだろう。
紙はケント紙、描くのガラスペン、そんなノウハウといっしょに、コマ割りや構図などの勉強のために大いに映画を見なさい、みたいなことが書いてあった。
手塚治虫ですら、映画を参考にしてたのだから、福地泡介や東海林さだおも人並み以上に映画を見ていたのではないかと想像した。
つまり、池波正太郎が小説の肥やしのために、映画を見まくっていたのと同じだ。

かつて、多くの漫画家たちが作品を創作するうえで、映画を師と仰いでいたと言ってもよいだろう。
ところが、いまの日本映画ときたら・・・・

まあ、このへんでやめておこう。



9 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31