日曜日は『スパイネーション/自白』に続いて2本見てきた。
2019年1月27日(日)
『ジュリアン』(2019年)
監督:グザヴィエ・ルグラン
東新町・名演小劇場
序盤にうつらうつらとなり、そのうち寝てしまった。
半分近く見ていない。
それでも、家族に暴力をふるう父親と、彼から逃れてきた母親、そして彼女といっしょに暮らす9歳の息子・ジュリアンの話ということは分かる。
熊みたいな父親は、どうしょうもない癇癪持ちのDV男だった。
母親はこんな男ときっぱりと縁を切ろうと、連絡先などを教えずに、彼の前から姿を消した。
癇癪持ちであると同時に、粘着質の父親は、幼いジュリアンをダシに使って、なんとか母親とよりを戻そうとするのだが・・・・
といった展開の後半で目が醒めた。
うわ、これはホラーだ。
とりわけ終盤の怖さといったら、特筆ものだ。
怖いったって、息子と母親がベッドで寝てるだけ。
ただそれだけのシーンが、見てるうちにしだいに不安になり、心拍数があがっていくのが自分でもはっきりと分かる。
その怖さといったら、そんじょそこらの突然の音で脅かすようなホラー映画より数段上だ。
長回しで撮ったこのシーンに恐怖が集中するように、緻密に計算したうえで、前半から中盤までを組み立ててきたのだろう。
寝てしまったことが、申し訳ない。
もういちど、きちんと見なければとおもった。
『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』(2019年)
監督:デビッド・バッティ
東新町・名演小劇場
1960年代後半のロンドンに巻き起こった、若者たちのカルチャー革命を回想したドキュメンタリー映画。
マイケル・ケインがホスト役をつとめる。
今やすっかり爺さんのマイケル・ケインも、この頃はまだ30歳代前半の若造だった。
そして、ビートルズやローリングストーンズやツイッギーらといっしょに、時代の寵児に躍り出たひとりだった。
たしか淀川長治だったとおもうが、ジェーン・フォンダとマイケル・ケインがいちゃつくシーンにかぶせて、
“サックスとセックスが上手なだけのダメ男”
と、『夕陽よ急げ』(1966)のマイケル・ケインを評していたのを、今でも覚えている。
当時のマイケル・ケインは、なよっとした、うさん臭い二枚目だ。
こんなに長持ちする俳優になろうとは、正直おもってもみなかった。
冒頭に「若者たち」と書いたが、これは正しくない。
正しくは「労働者階級の若者たち」だ。
私には、これぞクイーンズ・イングリッシュ!、と聞こえるマイケル・ケインのしゃべり方が、実はなまりがあって、少なくとも上流階級的ではないのだそうだ。
それと、彼の「ケイン」という名は、映画の『ケイン号の叛乱』に由来する、という話にへえー、となった。
登場するのは、わたしが小学生から中学生、高校生あたりの時代の出来事ばかり。
バックに流れる楽曲も、どこかで聴いたことがある。
その懐かしさにひたるだけで、十分だった。
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