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2018年09月12日02:24

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映画日記 『寝ても覚めても』 その2

2018年9月11日(火)

『寝ても覚めても』(2018年)
濱口竜介:監督
名駅・ミッドランドスクエアシネマ2

『寝ても覚めても』の感想で、書き残したことがひとつ。
撮影というか、映像がすばらしい。
見る前は“寝ても覚めても、また寝てしまう”になるのではと心配したが、結局最後までしっかりと見ることができたのは、撮影のおかげだった。

『万引き家族』もそうだったが、とにかく手を抜かずに、きちんと撮っている。
たとえば、震災時を再現するシーンに、多くのエキストラが登場した。
昔の映画なら、画面の質とリアリティを高めるために、いや別に高めなくても、観客が払う入場料に見合う水準を維持するために、エキストラをふんだんに登場させることはあたりまえだった。
忌憚なくいえば、現在、その水準に届いていない日本映画が多すぎる。

ビルの上から俯瞰撮影で路地でヒロインがシーンが何回か登場する。
職場を抜けだした亮平が、会社があるビルの避難階段からせまい路地を見下ろすと、そこには楽しげに犬とふれあう朝子がいた。
ビルと脇の路地、水平距離はわずかなのに、高層階の避難階段から見た朝子はとても小さい。
すぐ近くにいるのに、なかなか心が通じ合わない亮平と朝子の関係を表しているように見えた。
わずかなシーンのために、面倒な俯瞰撮影をいとわない姿勢が伝わってくる。

そんな撮影映像の白眉が終盤に登場する。
それは、通り雨の中、川の土手を走る亮平を朝子が追いかけるシーンを、俯瞰のロングでとらえた場面だ。
スクリーンの中で米粒のようなふたりが、うす暗い川の土手を、画面の上に向かって走っていく。
やがて雨があがったのか、雲の切れ目から陽射しがサアーと差し込んだ。
その明るい陽射しが、まるでふたりを追いかけるように、画面の下からどんどんせり上がっていった。
あの太陽の陽射しは、「希望」だろうか。

まるで奇跡のようなシーンだ。
撮影をしてたら、偶然に陽射しが差してきたわけではないだろう。
天気待ちの時間をたっぷりかけて、雲の動きを見ながら「いまだ!!」とばかりに撮ったとおもわれる。
あるいは映像処理だったかもしれない。
かりに映像処理だったとしても、最悪の関係になってしまった亮平と朝子に、かすかな希望が訪れる予感を、せりあがってくる陽射しであらわすという映画的なセンスには感服だ。

本作のHPに載っていた蓮實重彦のコメントにある、「二十一世紀の世界映画史でもっとも美しいロングショット」というのは、このシーンのことだろうか?



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