2018年5月22日(火)
『女と三悪人』(1962年)
井上梅次:監督
東新町・名演小劇場
名演小劇場で開催中の「大映女優祭」でいちばん見たかった1本。
なぜなら、少し前から山本富士子が好きになったからだ。
数日前に彼女の『夜の河』も見てきたが、本作もそうだがアップになった一瞬の山本富士子がとてもきれいだ。
舞台は江戸時代の両国。
その両国で一座をかまえる人気役者の瀬川喜久之助(きくのすけ、といっても女性)がヒロインだ。扮するは山本富士子。
そんな喜久之助に惚れてしまったのが、勝新太郎扮する贋金作りの悪党坊主と、大木実扮するニヒルな浪人、そしてひょんなことから喜久之助の一座に入ることになった流れ者に扮するのは市川雷蔵だった。
窮地におちいった喜久之助を、恋のライバル同士である男たちが三者三様の助け船を出す。
そんな男たちの胸のうちを知りながら、喜久之助が下した決断とは・・・・
どこがどうということもないが、まるで日本映画黄金期の掉尾を飾るような贅沢で楽しい映画だ。
なにが贅沢かといえば、にぎやかな両国界隈の群衆シーンに登場するエキストラの数だ。
とにかく、もの凄い数のエキストラだ。
しかも、エキストラ全員の歩き方や着こなし身のこなしが江戸時代の雰囲気を伝えている。
現在の日本映画で圧倒的に不足しているのはエキストラの数だろう。
当時の大映の人気俳優を揃えた、準オールスター作品だ。
それもそのはず、封切りが1962年1月3日のお正月映画だった。
『女と三悪人』が終わってロビーに出たら、粋な着物を召したご婦人の団体がいた。
ときどき「先生」という言葉が聞こえてきたので、着付教室の課外授業で、美人女優の着こなしを勉強しに来たのだろう。
ということで前夜の『娼年』に続き女性客に囲まれて映画を見ることになった。
『女は二度生まれる』(1961年)
川島雄三:監督
東新町・名演小劇場
見るのは二回目。
枕芸者を皮切りにクラブホステスを経て二号さんになったうえ、若い燕にも手を出してしまうという、ふらふらと生きてきたひとりの女が、ふとこのままではいけないと目覚める一瞬を捉えた作品。
若尾文子の魅力が満載だ。
増村保造監督作品に出てくる意志の強い若尾文子とはことなる、なよなよとした若尾文子も魅力的だ。
あわせて山村聰、山茶花究にフランキー堺という脇役陣が強力だ。
男優だけでなく村田知栄子、村田扶実子、紺野ユカといった根っからの大映女優たちも強力な布陣だった。
川島雄三らしい洒落っ気もあり、二回目だったがとても楽しめた。
ところで若尾文子の着物姿はいつ見てもいいものだ。
ただし、着付教室のご婦人たちには山本富士子の『夜の河』のほうが参考になる。
なにしろ『夜の河』の山本富士子はこれでもこれでもかとシーンが変わるごとに着物の柄が変わるという、着物への執着ぶりだった。
次にもう1本見てきた。
当然かもしれないが、観客はこちらも圧倒的に女性客が多かった。
『君の名前で僕を呼んで』(2018年)
ルカ・グァダニーノ:監督
伏見・ミリオン座
海あり川あり、そしてどこまでも風光明媚な田園風景が広がるイタリアの避暑地で、アメリカからやってきた美青年と、17歳になるイタリアの美少年のひと夏の経験。
ひとことでいえばゲイ映画ということになろうが、レズビアン映画だった『アデル、ブルーは熱い色』と同じように、描かれる恋愛と、湧き上がる情感は普遍的なものだ。
終盤の“どんな結末を迎えようとも、恋し愛した一瞬はかけがえのないものだ”といった内容のことを父親がしみじみと息子に諭すシーンが拍手もの。
妙な連想になるが、このしみじみとした父親のやさしさは、小津安二郎の『晩春』で笠智衆と原節子がひと晩を過ごす京都の夜みたいだった。
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