(続き)
5/12(土)朝、アクトシティ浜松南の団体バス発着所を7:30に出発。
浜松インターから東名高速に乗り、西進。愛知県下で中央自動車道、更に長野自動車道へとひた走る。
何処だったか忘れたが、途中のサービスエリアで休憩。そこで地震のニュースが入ってきた。
10:30頃、長野県北部を震源とする地震発生、震度5弱との事。まさに我々が向かう先である。
詳細はまだ判らない。少々心がざわつく。
スマホ等でニュースに注意しながら進む事とする。
天気は好い。
行く手に見えるアルプスの山並みの頂上付近は、まだ白いものが深い。
松本インターで高速を降り、同市内へ。
最初の訪問地は松本市美術館。草間彌生展を開催中である。
国立新美術館で開催された「草間彌生 わが永遠の魂」展(’17.2.22〜5.22)は大変な人気で、トータル52万人を集めたそうだ。
同時にミュシャ展が開催され、私は昨年5/17、ミュシャ〜草間展と続けて回る計画を組んで上京したが、後者の入口前に並ぶ列に驚き、諦めた経緯がある。ミュシャ展も相当の前人気だったから、そちらのみ前売り券を買い求めており、草間展は当日券でいいだろうと思っていたのだ。
今回は、私として挽回になるが、松本市美術館の草間展も混んでいると聞いていたので、到着したバスの窓からまず入口付近の様子を眺めた。が、幸い列ができている気配はなかった。
草間彌生は1929年、この松本で種苗業を営む家に生まれた。縁の深い松本市美術館では繰り返し草間展が開かれてきた。
今展は松本市市制施行110周年・松本市美術館開館15周年記念の冠が付いている。
・正式名称「草間彌生 ALL ABOUT MY LOVE 私の愛のすべて」
・会期 ’18.3.3〜7.22
国立新美術館のタイトルとは異なるので、その巡回ではなく、独自企画だとの事。国立新美術館が全約270点、今展の約180よりは大分多いが、新美で観る事のできなかったものも展示されていると言われている。
草間彌生は、2009年から〈わが永遠の魂〉シリーズの取り組みを開始した。
国立新美術館展では「500点に及ぶ」とその総数を表現していたが、今展では「550点を超えた」となっていて、この1年程の間に約50点も新作が加わった計算になる。
89歳にして、溢れんばかりのエネルギーだ。「無限の増殖」、それが彼女のコピーでもある。
新美では〈わが永遠の魂〉シリーズから130点が展示された。対して、今展では68点だが、その半数が日本初公開(即ち世界初公開)だとの事だ。
2階、第2会場、〈わが永遠の魂〉シリーズの展示室は撮影可となっていたので、私も撮ってきた。
同室入口上にあるのは毒々しき《真夜中に咲く花》(2014)。

シリーズと言っても、無論個別にタイトルがある。出品リストには全タイトルがみっしり書かれているが、残念ながら私にはどれがどれか特定ができない。
初期のものを除いて、シリーズは全て194×194�僂寮喫�形パネルにアクリル絵の具で描かれている。
映像コーナーでその制作風景を見ると、彼女はキャンバスを台の上に平らに置くと、スケッチも下描きもなしで即細部から描き始める。全体構図は頭の中にあるのか、それとも細部の増殖の延長にだけ全体は存在するのか。
他に、ミラールームの中に観客1人ずつが入って体験する無限の幻のインスタレーション《南瓜へのつきることのない愛のすべて》(2016)、これも今回が日本初公開。
こちらは観る事ができなかったが、館外でも各所で関連展示が行われ、謂わば全市を挙げて”クサマ・ワールド”実現に尽力したのである。地元の草間への愛あってこそで、確かに松本市ならではの草間展覧会になったと言えるだろう。
今や、松本の、日本の草間は、世界のKusamaである。
イヤホンガイドはよく作り込まれていた。
草間自身の肉声は時に自作詩を詠み、自作の歌を歌い、来し方、そしてその芸術を語った。
少女時代は幸せでなかった。
母親との確執。
ある日突然、花が笑った、犬が話しかけてきた。
自殺を考えなかった日は1日もない、昨日も一昨日も。
絵を描く事で救われた。
それで、毎日描く。それで、生きている。
好きでハッピーな絵を描いている訳じゃない。
・・・・・・
だが、我々は、そんなふうにしてでき上った作品を目の前にして、時に微笑み、時に奮い立ちもする。芸術とは不思議なものだ。
一応今展の構成を整理しておきたいと思うが、どだい無理な事と諦めるか。
会場は3階の第1と2階の第2に分けられている。
第1会場は、美術館も敢えてチャプター分解をせず、並べたのみ。
まず2000年代冒頭の作品を中心に展開したのち、草間が日本にいた初期時代の作品を、1934〜55年(5〜27歳)迄年代順に21点、渡米時代の作品、1958〜72年(29〜43歳)の作品を18点展示している。
凡そ草間の前半生をここでまとめている。
渡米時代の活動については、2011年に外苑前のワタリウム美術館で開催された「Kusama’s Body Festival in 60’s展」で観ている。
参)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1793458427&owner_id=3341406作品展示よりも活動に力点を置いた企画展で、ビデオ映像を多数見せ、1960年代のイメージと「前衛の女王」と異名を取った草間を重ねていた。
米国滞在は1973年に突然打ち切られる。親友のジョゼフ・コーネルの死により、体調と精神を崩した為で、草間は日本に帰って入院治療を行った。
したがって、1970年代以降しばらくの間の作品は極めて少ない。
78年には小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』を書き、83年には『クリストファー男娼窟』で月刊[野生時代]新人文学賞を受賞する。
美術制作への回帰は1993年、ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として参加してからだ。
今展でも、この前辺りの時代を埋めるものは豊富でない。
第2会場は、上で触れた通り、2009年からスタートした〈わが永遠の魂〉シリーズで埋め尽くされている。
振れ幅の激しい現存作家の人生をチャプター化してまとめるのは至難の技だろう。それにはまだ長い時間がかかるに違いない。
帰りに中庭に出ると、芝生の中には、草間のトレードマークである南瓜のオブジェがどっしりと座っていた。《大いなる巨大な南瓜》(2011/17)
そして、草間は自動販売機も赤地に白の水玉を塗り籠め、これにもタイトルを付けた。《水玉強迫》(2009)。
(続く)
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