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2018年05月06日23:59

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映画日記 『憎いあンちくしょう』

早朝からおにぎりとコッペパンを持参し、柳ヶ瀬で映画を見てきた。

2018年5月6日(日)

『憎いあンちくしょう』(1962年)
蔵原惟繕:監督
岐阜柳ヶ瀬・ロイヤル劇場

見るのは2度目。
確か東京フィルメックスの蔵原惟繕監督特集で見ている。
このときは、浅丘ルリ子がお目当てだった。
封切り時、人気絶頂だったはずの浅丘ルリ子があられもない下着姿を披露する。
当時の観客はドッキとしたはずだ。
それどころか、今時分の観客である私も、ドキッとした。

話は少々込みいっている。
主人公はテレビにラジオに雑誌にと一躍マスコミの寵児となった青年・大作(石原裕次郎)と、彼のマネジャー兼恋人の典子(浅丘ルリ子)だ。
ふたりは、自分たちの恋愛がいつまでの新鮮であるようにと、出会った2年前からキスもしなければセックスもしないと誓いあっていた。
ある日、自縄自縛におちいったふたりの関係に我慢できなくなった大作が典子を求めるが、拒否されてしまう。
そしてその夜のテレビ番組で、やけになった大作は鹿児島のへき地で医者をしている恋人のもとに、診療に使うための中古ジープを誰か届けて欲しいという美子(芦川いづみ)という若い娘の願いに、自分が届けると宣言してしまった。
宣言するやいなやテレビ局を飛び出してしまった。
彼がほんとうに鹿児島まで行くとなると、明日からの仕事がすべてドタキャンだ。
大作に翻意をうながすため、典子もジャガーのハンドルを握り彼の後を追いかけるのだったが・・・・

車で東京から鹿児島まで横断するロードムービー、というのが前回見たときの印象だった。
今回も、先日訪れた宇野港や、前回は分からなかった尾道が確認できたりと、ロードムービーとしての面白さは健在だった。
とりわけ博多の祇園山笠と思われる場面を、実写とブルースクリーンとスタジオ撮影を素早くモンタージュしたシーンが秀逸だ。

しかし、あらためて見るとロードムービー映画であると同時に、浅丘ルリ子が発する

「愛は、言葉じゃない!」

というセリフに本作の核心があることに今回初めて気づいた。

「愛は、言葉じゃない!」というセリフは、美子と恋人の若い医者(なんと、小池朝雄!)が鹿児島で2年ぶりに再会するシーンでのこと。
それまで2年間の手紙のやりとりだけがふたりの純愛の証しであると信じていた美子に、典子が放つセリフだった。
典子にとって、美子たちの2年間の手紙のやりとりが、自分と大作の関係に重なったのだ。

言葉でなければ、愛とは何なのか?
ラストでキスさえも禁じたはずの大作と典子が緑の草原に倒れ込みくちづけをする。
青い夏空に下で、汗の浮かんだ裕次郎の背中にルリ子が手をかけ、ふたりはきしみ合うように抱きあった。
映画はここで「終」になったが、当然このあとがあったはずだ。
このラストシーンを見てると、「言葉でなければ、愛とは何なのか?」の答が自然と浮かんできた。

愛とは、肉体だ。

増村保造の『暖流』(1957年)で左幸子の名セリフ「愛するって、すれっからしになることよ!」を思い出した。


『空海―KU−KAI― 美しき王妃の謎』(2018年)
チェン・カイコー:監督
岐阜柳ヶ瀬・CINEX

年寄りの私には話が複雑すぎて、よく飲み込めなかった。
よく飲み込めなかったうえで、こういうのもなんだが、30年がかりのミステリーにしてはオチが小さいような気がした。
黒猫がアニメにしか見えないのも、ちょっと残念だった。


このあと柳ヶ瀬でもう1本見てきた。



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