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2018年02月05日00:38

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映画日記 『皆殺しの天使』 『ビリディアナ』

2018年2月4日(日)

『皆殺しの天使』(1981年) ※1962年製作
ルイス・ブニュエル:監督
今池・名古屋シネマテーク

オペラの公演が終わった夜、上流階級の紳士淑女が名士のひとりに夕食でもと彼の豪邸に招待された。
歓談が終わり、いざ帰ろうとするのだが、どういうわけか誰ひとりとしてその邸から出ることができず、結局一夜を明かしてしまう。
翌朝、たまにはこんな夜もあるだろうと口々に言い合い、いざ玄関へ向かおうとするのだが、やっぱり邸の外に出ることができない。そのうち食べ物や水が底をついた。
それまでは上品な振る舞いだった彼らが、ささいなことで言い争うようになるのだが、やっぱり邸から出ることができない・・・・

あらすじだけは私でも知っている有名な映画。
初めて見たが、面白い。
まず、こんな妙ちきりんな映画を作ってしまうところに感心してしまった。

単純に考えれば、邸から出られなくなった人たちというのはルイス・ブニュエル監督の母国であるスペインの国情への比喩だ。
当時のスペインはフランコ政権下だった。
いいかげん独裁政治は終わりにしたいと思っているのに、だれもそのことを口にしない人たち、とりわけ知的なブルジョワ層や教会への批判だろうと思った。
いっぽうで、そんなありきたりなことだろうかと疑問に思ったことも確かだ。
“出られなくなった人たち”というのは、いったい何者だったのか?


『ビリディアナ』(1964年) ※1961年製作
ルイス・ブニュエル:監督
今池・名古屋シネマテーク

こちらも面白かった。

ビリディアナという名の若くて美しい聖女のような見習い修道女が、世間の酷い仕打ちに遭い、大事にしていた荊冠を焼き捨て、転落しいく物語。

信仰心(本作はキリスト教)に対して残酷で意地悪な映画だった。
意地の悪さに笑ってしまうぐらい。
乞食たちによる「最後の晩餐」シーンは見どころだ。
そのビリディアナが献身的に救おうとする乞食たちを、貧者=善人みたいに描いていないのも、もうひとつの意地の悪さだ。
彼らの無知、狡猾、自堕落さに手厳しく冷たい視線を向けている。

本作はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したものの、ヴァチカンが激怒するなど大スキャンダルとなり、製作国であるスペインをはじめ欧州各地で上映禁止になったという。
半世紀以上も昔の映画だが、確かに破壊力の片鱗がうかがえる。
今でも信者の方が10人見たら、7〜8人は怒るだろうな。



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