8月8日、なんだか末広がりでおめでたい。
こんな日は、どうせパパの日だし、パチパチでソロバンの日。
パチパチといえば、AKBがパチンコ台に採用されたのが良い感じのトリガーになって全く打つことをやめてしまったが、まさしくパチンコの日でもあるはずだ。
(調べてみる→11月14日だった

)
パパ、
いわゆる銀座のねぇちゃんがハゲた社長に対して使うパパではなくて、ここでは本当のパパ。
つまり父の遺品を整理していたついでに、ストックブックの端に挟まっていた小冊子の切り抜きを発見。
おいらの誕生とほぼ同時期に発刊され、今でもパチンコ屋の景品交換所に置いてあるフリーペーパー『王様手帖』。
その冊子の年末企画「王様エンタメ大賞」で、準グランプリに選出された名作(自称)がこれ↓
10年程前の投稿だけど、フィクションかノンフィクションかは記憶にない。
永く続いているmixi日記のことだから、以前にも書き綴ったかもしれないが、パパの日に父とのパチンコ噺を思い出すのも悪くはない。
テーマ『私がパーラで感動したこと』
(注:王様手帖は元来から「パチンコ屋」という表現を使わず、「パーラ」と記載されている。その方がギャンブル色を弱めるらしい。ふーん

)
今よりも子供の入場規制が緩やかだった40年前、父に連れられてパチンコを一緒に楽しんでいた。
その頃は、100円玉を店員さんに渡して貸玉機から出てくる玉を両手で受けていた。
子供の手には有り余るほどの玉を借りることができて、いつも1つ2つの玉を床に落として父に怒られていた記憶がある。
その後、パチンコ業界は日進月歩で技術革新し、フィーバー機やCR機の登場、貸玉のインフレ化によりどんどん高齢者を遠ざけていくようになる。
ついには「確変潜伏」など釘読みの技術よりも知識介入が必要となるに至っては、半世紀も遊び続けてきた父も「パチンコ引退」を宣言、ここ数年はパチンコ屋へ行くことが無くなった。
ところが、つい最近、父が昔のようにたくさんのチョコレートやビスケットを抱え孫へのお土産を持ってきた。
「どうしたの?」と尋ねると、
「今、パチンコが1円で打てるようになった。100円で100玉、1,000円もあれば落ち着いて遊べるようになったよ。当たりの確率も100分の1だから、よく大当たりが引けるんだ。
お金にはならないけど、孫へのお菓子ぐらいは交換できるんだ。」と嬉しそうに語る。(※1)
まるで40年前のあの頃、「今日も勝ったよ!」と自慢げに、お菓子で一杯になった茶色の紙袋を両手に抱えて会社から帰ってきた父を見るように。
「1パチ」と「遊パチ」の出現は、パチンコ屋・お客さん双方にとって大儲けのできるものではない。それでも、その存在は古き良き時代のノスタルジーを味あわせてくれる、とてもとても大事な存在。勝ち負けだけが感動を呼び起こすものではないと知った。
(※1)「こんなことは言ってない」(父)
父とのパチンコの想い出は、こんなものだけじゃない。
景品がたっぷり入った茶色の紙袋には、ハイクラウンチョコレートが必ず入っていた。
川崎市が「パチンコ屋18歳入場禁止」に踏み切った、その最終日にも、父とおいらは川崎駅北口ビルのパチンコ屋に立ち、銀玉を弾いていた。
おいらがパチンコ屋でアルバイトを始めた高校時代の正月には、帽子をかぶって変装した父が、こそこそと店にやってきて、フィーバーすることもなくこそこそと店から出て行った。
そんなこともあったんだ。

「息子がハンサムすぎる」とDNA鑑定、結果は…
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=4707928
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