一九六三年(昭和三八)のそのころ、私は北海道旭川の郊外で、雑貨店を開いて三年目だった。見渡す限り稲田が広がり、その東の果てに大雪山の秀嶺があった。初夏の夜々、天を圧する蛙の声が私を楽しませた。田圃の中での小さな雑貨店だったが、朝六時から夜の十時まで、けっこう忙しかった。
三浦が営林署に勤めに出たあと、バスに乗って、てんぷらやかまぼこ、干魚などを都心まで仕入れに行った。小さな街だから、郊外から都心までといっても、バスで三十分とかからなかった。そのバスの中で、晴れた日も雨の日も着ていたバーバリのポケットから、文庫本を出して読んだ。長塚節の『土』、川端康成の『山の音』は、どの頁も面白く、特に読んだ。
こんな生活の中で、一分二分の時間をかき集めるようにして資料を調べたり、ノートを取ったりした。そして夜、十時閉店後、午前二時まで二階で書いた。冬、ストーブのない寝室では、インク瓶のインクが凍った。こわれた万年筆で、凍ったインクを突つき突つき書いた。こうして、処女作『氷点』が誕生したのだった。
(三浦綾子『凍ったインクで』ごめんなさいといえる収録)
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