たとえ、生きていることが無意味に見える時があっても、人間は生命を大事にして生きねばならないと言っているように思えた。自分にも人にも、生きている意味が分からなくても、生きていること自体さらに大きな意味があるのかもしれないと、良一は思った。(三
『人間が持つべき真実の生き甲斐とは、いかなる人間にも通用するものでなければならないと思っています。 その人が生き甲斐と思っているものを取り去った時、果たして何が残るか。只むなしさだけが残るとしたら、わたしはその人の生きがいと思っていたものを
「謙遜ほど人間を美しくするものはない。その反対に、いくら見目形がととのっていようと、お前のように思い上がったものほど、みにくいものはない。」(三浦綾子『細川ガラシャ夫人』)
『みんなが同じ命を持って、生きているのだ。病人であろうと、貧しかろうと、能力がなかろうと、子供であろうと、それぞれが、各自の人生では主人公なのだ。 決して政治家や、金持や、知識人だけが、この世の主人公なのではない。 皆、幸せに自分の人生を生
主よ なぜですかなぜ赤いナナカマドも緑濃い針葉樹も空に向かって立っているのですか人間もまた空に向かって立っているべきなのですねでもなぜかうつ向いて天を見上げようとはしないのですどうか天にいます父なる神を仰ぐ者と ならせてください(『祈りの風景
虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追い詰められた時に何かが開けるということを、伝道の書にわたしは感じた。 この伝道の書の終わりにあった、 「汝の若き日に、汝の
『言葉というものは、その人間の歩んだ道で学んだものの集積が、ひとつに要約されて現されることが多い。だからその言葉は、たくさんの人の影響を受けているともいえる。それはともかく、数多くの言葉を胸のうちに蓄えるということは、生きていく上に重要なこ
「罪なきもの、まず、石を投げうて」 (キリスト 新約聖書 ヨハネ福音書 8の7) 姦淫の現場からひきずり出してきた女を「この女をどうするか」と、人々はイエスにつきつけた。「姦淫の女は石で打ち殺せ」というのが当時の律法であった。彼らはもし、イ
一日暗い空。夕ぐれかと思うほどの暗さ。<愛は損すること。利用するのは愛ではない>と、榎本保郎牧師の『新約一日一章』に書いてある。ただひとつの言葉でも、胸にひびく言葉を知った日は、生きている充実感に満たされる。不思議なものだ。(三浦綾子『北
大きな失敗を犯した時は、誰が責めなくても、本人自身がいても立ってもいられぬほどに、自己を責めているものだ。もう二度とこんなことはするまいと、心から悔いているものだ。その上、人が責めるのは、これこそ過酷というものだ。生きる道さえ閉ざしかねな
私は子供かもしれません、だから歩き方も知らなくて怪我もするでしょう。けれど決して恐れません、私は魂と魂とがぶつかるような中に生きたい。嘲われてもよい、あざむかれても、裏切られても、それはかまわない、ただふりかえって、上手に自分だけは傷つかぬ
無事であるということは、何と恐ろしい内容を含んだものであろう。自分一人で無事に生きていると思うのは、思い上がりもはなはだしいことなのだ。 (三浦綾子『明日のあなたへ』)
お互いの親を大切にするということは、即ちお互いへの思いやりてもあります。親を大切にする家庭は必ず栄えますし、聖書にあるとおり幸福の秘訣です。(三浦綾子『生命に刻まれし愛のかたみ』)
人間という者は、隠れてことをなすのが好きなものじゃ。子供の頃の遊びで、最も楽しいものが、かくれんぼ。 な、そうであろう」(三浦綾子「千利休とその妻たち」)
「明子さん、そんなに人間を美化して考えちゃいけませんよ。人間はしょせん人間ですからね。狂ったとたんに悪魔が入ってくるのじゃなくて、心におしかくしていたものが、その安全弁がはずれたとたんに、ぞろぞろと心の底から出てくるだけなんですよ」 (三
「しかし、ぶらぶらして食べているなんて、無意味だと思うんです」 「いや、病気の時は、呼吸しているだけで、精一杯の大仕事だ。まぁ気をらくにするんだね。」(三浦綾子『ひつじが丘』)
夫婦というものは、決して恰好のいい所だけを見せて生きている恩ではない。むしろお互いに欠点をもろに見せ合って生きている。その欠点も長所も含めて、相手を肯定して生きている。そこに夫婦の安らぎがある。 (三浦綾子『白き冬日』)
人間はどんなに絶望状態にあっても、希望さえ失わなければ明るく生きていけるのだ。(三浦綾子『それでも明日は来る』)
人間はね、生きてる間中、いろいろなことがあるのよ。その度に死んでたら、命が幾つあっても足りないのよ。(三浦綾子『水なき雲』)
たとえ、生きていることが無意味に見える時があっても、人間は生命を大事にして生きねばならないと言っているように思えた。自分にも人にも、生きている意味が分からなくても、生きていること自体さらに大きな意味があるのかもしれないと、良一は思った。(三