誰かの言葉に、「恩返しをしたと思うことほど、忘恩はない」という言葉がある。この言葉を知った時、私ははっとした。恩というものは、返すことなどできるものではないのだ。恩というものは、身に沁みて深く感ずべきものなのだ。そう簡単に返すことのできるも
三浦綾子記念文学館の動画をリンクさせて戴きます。内容は三浦綾子『銃口』のミニ解説です。解説者は森下辰衛さん(三浦綾子記念文学館特別研究員)。(1)『銃口』のあらまし (2)「綴り方教育連盟事件」 (3)『銃口』の主題 “人が人と
誰も自分の人生の最後を知るものはありません。 ただ今生きているこの人生を、 より真実に生きることしか、 わたしたちのなすべきことはないと思います。 (三浦綾子『人間の原点人間の原点―苦難を希望に変える言葉 』)
言霊(ことだま)という言葉もありますが、言葉って不思議なものですね。「可愛い」と言えば可愛い気持ちになり、「憎らしい」と言えば憎らしい気持ちになります。 (三浦綾子「新しき鍵」)
『塩狩峠』50年 「三浦文学でまちおこし」(6)お待たせです。特別展『塩狩峠』タイトルは、 一粒の麦いのちより重たい愛の尊さです。自分の周りにある“愛”、感じられ、考えられ、何かをつかんでください。ところで、ここまで今年4月から始ま
愛するというのは、愛する者を、長い間に襲うかも知れない荒波を乗り超えさせ、待っているかも知れぬ艱難を克服する力を、不断に養ってやるということではないだろうか。(三浦綾子の言葉『ナナカマドの街から』)
おめでとうございます!三浦綾子文学賞受賞作の『颶風の王』がJRA馬事文化賞を受賞し、その贈賞式が2016年1月25日、ザ・プリンス パークタワー東京(東京都港区)にておこなわれ、作者の河崎秋子さんが出席しました。(崎の字は旧字体)会場には大勢の人々が
私たちは、誰に会うこともない一日というのを暮らすことがありますが、誰に会うこともないそのときの自分を大切にしないで、真実に生きるということはできないのではないかと思います。「雑事」という言葉がありますが、雑にやれば雑事なんですね。私たちはど
「いまのあなたの生き方は、それでよいのか」と問われたとしたら、何と答えることができるだろう。(三浦綾子『生きること思うこと』)
「大人たちはね、勉強すれ勉強すれって言うだろう。確かに、字を覚えることも、計算することも大事だが、子供たちにとって、よく遊ぶことも大事なんだ。遊び時間に、遊びながら、本当は結構いろんなことを勉強しているんだよ。人と仲よくすること、これはね、
私たち人間は、一つ善いことをしただけで何か大きなことをしたような気になったり、自己満足をしたり、恩着せがましい思いになったりするものである。(三浦綾子『新約聖書入門』)
私たちは、自分で自分を捨ててはいけない。神が与えてくれたこの自分を、自分が愛さないで誰が愛するであろう。多くの可能性を秘めたこの自分を、より愛して生きようではないか。(三浦綾子『明日のあなたへ』)
私たちは、いかに生きるべきかが見えるだろうか。今日が見えるだろうか。明日が見えるだろうか。過去が見えるだろうか。未来が見えるだろうか。死が見えるだろうか。命が見えるだろうか。救いが見えるだろうか。真理が見えるだろうか。私たちは謙虚に、自分の
私たちは心して、人に勇気を与え、喜びを与える、つまりその人のよさを引き出す言葉を出すべきであると思う。「必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい」と聖書にもある。(三浦綾子『孤独のとなり
「自分の中ばかり見つめるのはおやめなさい。その目を周囲の人に向けなさい。あなたの助けを欲しいと思っている人が、必ずいるはずです。」と言われた。私は、はっと目覚めたことを覚えている。(三浦綾子『忘れえぬ言葉―私の赤い手帖から』)
しかし毛虫は、飽きずに、こりずにまたのぼる。(中略)だが遂に、実に遂に、毛虫はその高い土をよじのぼったのである。私は深く感動した。「あいつは虫けらのような人間だ」などというが、冗談じゃない。虫といえども、私たち人間よりも、こんなにも根気強いも
どんな人間だって、悪いところばかりがあるわけではない。人に悪口ばかり言われるような人間にだって、必ずよいところがあるはずだ。そして、そのよいところに目を注いでいると、ふしぎにその人はよくなっていくものだ。(三浦綾子『愛すること信ずること』)
虚無とは、自己を喪失させ、亡びに導く一つの力であると言える。虚無に陥ちているか、どうかに気づくことは、結核や癌の早期発見以上に大切なことなのだ。(『光あるうちに』)
真の愛というものは、愛するにふさわしいものを愛するのではなく、だれからもかえりみられない価値なきものを愛することなのではないか。(三浦綾子『愛すること信ずること』)
一生付き合っていたって、なんにも相手の力にならないということもあります。生きるということは、人を生かすことです。愛というものは、人を生かすものです。(三浦綾子『なくてはならぬもの―愛すること生きること』)
「自分の非を素直に認めたり、まぬけさを客観的に笑えたら、これは立派だよ。人間、立派ということは、こういうことじゃないかな。ここには劣等感も傲慢もない。あるがままの自分を見つめる澄んだ心だけがある。寛(ひろ)い心と言ってもいいね」 〈三浦綾子
人生には、いいことも悪いこともあるんだからね。明日に何が待っているかを、一喜一憂するというのでは、地に足のついた生き方は、できないことになると思うよ。(三浦綾子『残像』)
ふと思い立ち、小冊子を作ってみることにしました。というのは、三浦綾子さんのお話をするときに、彼女の略歴などをまとめた何かがあると便利だなあと思っていて、先日ご紹介したように、大きめのパネル4枚で構成したものを作りましたが、さらに、そこにご出
「失敗は成功のもと」という言葉を書いたが、「成功は失敗のもと」と言い替えてもいい。とんとん拍子に行く時こそ、一番危ない時かも知れない。(三浦綾子『あさっての風』)
「言いにくいことを言ってくれる人を、ありがたく思わねばいけないよ」と母はよく言っていたが、...人間幾つになっても、甘い言葉には弱いものだ。(三浦綾子『人間の原点―苦難を希望に変える言葉 』)
わたしたちは、自分の金を自分のために自由に使う自由もあるが、人のために使う自由もある。人 が困っているのを、見て見ないふりをする自由もあるが、積極的に助ける自由もある。人の過去をゆる さない自由もあるが、許すという自由もある。 一日を怠惰に
自分は、本ものか、にせもものか、きびしい目で見つめるならば、自分こそ本ものだと言える人間は少ないのではないか。 金に動かされ、国民の幸福より自分の幸福を考える政治家、十年一日の如き同じ講義を、学生に対する愛情も、学問に対する熱情もなくつづけ
「これが時代というものだよ」誰かがそう言いました。それでは時代とはいったい何なのか。今まで正しいとされて来たことが間違ったことになるのが時代だと言うのか。いつの時代でも悪いことを「時代」や「社会」のせいにしてしまってことたれりとする風潮があ