「人間は何を目標として生きるべきなのだろうか。おれには社会的な地位も、一応の財産も、美貌の妻もある。しかしそれらは必ずしもおれを幸福にしなかった」(三浦綾子『氷点(下)』)
愛のある人の言動は、礼儀にかなっている筈である。四角四面に頭を下げるのが、礼儀とは限らない。ていねいな言葉づかいだけが礼儀ではない。(三浦綾子『孤独のとなり)』)
今日のちょっと物思いキリスト教の場合でも神が研究の対象になっている間は、神は人格的存在ではなく、眺められる対象にとどまっています。ところが、その神が、人に向かって語りかけて来られると、その神を最早眺めるとか、観察するとか、研究することが出来
わたしたちはずいぶん気をつけているつもりでも、自分では気がつかなくて、いろいろな人の心を傷つけていると思います。人の肉体を傷つけたら刑務所に入りますが、人の心を傷つけても刑務所に入ることはありません。しかし、それだからといって、人の心のほう
人生における出来事は、たいてい突如として起こるのですな。この『突如』に対応するには、日頃の人生に対する考えの深浅が勝負を決めるようです。(三浦綾子『夕あり朝あり』)
常々私は「笑い」というものが人間生活の中で、本当に大切なものだと思っている。一日に一度も笑わぬ日を三百六十五日つづけているとしたら、いったい人間はどんなことになるだろう。現代の生活で最も必要なものは、あるいはこの笑いではないかとさえ思うこと
今日私は六十九歳となりました。しかし、六十歳代の日々が、二十歳代の日々よりも、幸せが薄いとは思いません。六十歳代には六十歳代の恵みが、豊かにあることを覚えて感謝します。朝日も美しいけれど、夕日もまたうつくしいのです。(三浦綾子『祈りの風景』
神が人間とこの世をおつくりになった以上、この世はそもそも宗教的なんですね。それこそでたらめをやっている人間も、そのままで宗教的な存在だと言えるのではないでしょうか。(三浦綾子対話集2)
人間は、小野村牧師のように、長い間その人を慰め、励まし、絶望から立ち上がらせる言葉を、胸にたくさん蓄えておかねばならない。一生涯使っても使い切れぬほたくさんに。 (三浦綾子
たとえ愛する人があり、すばらしい才能があり、世にもてはやされ、多くの人に愛されたとしても、人間は本来はむなしいはずなのです。 (三浦綾子 『小さな郵便車』より)
「素直とはね、人のいうことをハイハイとうなずくことではないんだ。わたしがいうのは、真理に素直であるということだよ」(三浦綾子『積木の箱(上)』)
神さまはご存知なのです人間が二十四時間光のない世界に生き得ない弱い存在であることを夜がきた時私たちは朝を迎えている人々を羨むことなく祝福する愛の心を持ち得ますように(三浦綾子『祈りの風景』)
『人間というものは、毎日試されて生きているようなものですね。先生はそうお思いになりませんか。さまざ まな問題にぶつかって、思いもかけない自分の姿を見なければならない というのが、私にとって人生のような気がします。」(三浦綾子『雪のアルバム』)
「な、お貴乃、建物は土台が大事だ。どんな立派な材料を使おうと、ていねいな細工をしようと、土台がゆるんでいりゃあ、その家はすぐにぐらつく。風が吹きゃ倒れる。土台というものは大切なもんだ。人間の生活も、真実という土台の上に立てなきゃなあ」(三浦
「な、お貴乃、建物は土台が大事だ。どんな立派な材料を使おうと、ていねいな細工をしようと、土台がゆるんでいりゃあ、その家はすぐにぐらつく。風が吹きゃ倒れる。土台というものは大切なもんだ。人間の生活も、真実という土台の上に立てなきゃなあ」(三浦
自分で自分の人生に見切りをつけた時、その人生は貧しくなる。しかし希望を持った時、実に豊かに生き得るのだ。(三浦綾子「ナナカマドの街から」)
唯一つのものを選ぶということは、考えれば考えるほど、本当にむずかしいものですね。食べものでさえこんなにむずかしいんですもの、唯一の道を選ぶとか、唯一人の人を選ぶことは、それこそ一生の仕事と言ってよいと思います。(三浦綾子『雪のアルバム』)
「使命」という字は、命を使うと書くと聞いた。なるほど、使命とは命を使うことか。味わい深い言葉になり。一本の花が命を限りに咲いて果たしているということ。その人なりにひたすら生きる、美しいことだ。(三浦綾子『この病をも賜として』)
人間はいろんなからみ合いの中で、無事に生きて行くこともあれば、重大な過失を犯すこともあるんだ。だから、人間は大過なく生きていても、威張ることはないし、過失を犯した人を、そう責めることもできないんだよ。(三浦綾子『続・氷点(下)』)
「自分の得をするようなことに出会った時は、人間試される時だと思う。得をしたと思って喜んでいたら、大いに誤るということがある。」(三浦綾子『銃口』)
待つことには力がいる。(中略)待つよりも死んだほうが、簡単には違いない。だが、わたしたちはやはり待たねばならない。(三浦綾子『生きること思うこと』)
この世には、いわゆる役に立つ人間ばかりが生きているわけではないのです。重病人、(中略) 身動きもかなわぬ老人等々。しかし、神はその人々の命と、健康でばりばりと働いている働き盛りの人の命とに、何の差もつけてはおりません。どの命も神の前には等しく
今日のちょっと物思いそうなのです 互いに尊敬しあうことでしか 人は 信頼しあえないのです(益田ミリ『ふつうな私のゆるゆる作家生活』)
が、これですべてが終わったのではなかった。ここから人類の新しい歴史が始まったのである。もしイエスがいかに偉大に人物であっても、十字架上に人類の罪を負わなかったとすれば、世界の歴史を変えるような存在にはならなかったであろう。 また、イエスの死
いつかわたしが、光世さんのような人を育ててくれてありがとうっていったら、お母さんはね、「わたしは遠くにいて何もしてやれなかったから、母の資格はないんです。ただ切なる祈りを神に捧げて、神に委せるより仕方がなかったんですよ。」って。これ、本当の