九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言いつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。(
空の青さをしみじみと見つめながら私は思った。空の色と不調和な色があるだろうか。山も、建物も、木も、花も、人間も、電柱も、雀も、鴉も、なんと空の色に調和して美しいことだろう。空の色はすべてのものを受け入れ、すべてのものの本来の色の美しさを引き
よいことだと知りながら、それを実行するということは、何とむずかしいことなのだろう。したいと思うことをし、していけないと思うことをやめればそれでいいはずなのだ。ところがそうはいかない。全く君のいうとおり、人間て不自由なものだね。(三浦綾子『塩
責任を取るということは、死ぬということとは別ですな。命は神から与えられえたものです。その与えられた命を充分に生きてこそ、本当の意味で責任を取ることになる。(三浦綾子「夕あり朝あり」)
『人間が持つべき真実の生き甲斐とは、いかなる人間にも通用するものでなければならないと思っています。 その人が生き甲斐と思っているものを取り去った時、果たして何が残るか。只むなしさだけが残るとしたら、わたしはその人の生きがいと思っていたものを
「何になるか」はパンの問題である。「どう生きたいか、どんな人間になりたいか」は魂の問題である。それは人間の尊厳の問題であり、真の意味の自由の問題である。むろん、パンの問題も大事だが、人間はそれだけで生きるものではない。(三浦綾子「孤独のとな
『私たちは目を持っているために、人間や自然の姿を見ることができながら、見るべき本当のものが見えないということがある。』(『わが青春に出会った本』)
今日のテーマは「あなたは戦争をどう考えるか」ということですが、わたしは戦争とは、人権無視、人格無視、国民の意見を踏みにじる、恐るべき国家権力の一つの姿だと思いますね。 国家権力が、武力を持っているからこそ戦争は起きるわけですよ。敵を武力によ
『人間はその時点、その時点でものを考える。 非常に辛い思いをしている時は、その辛さが永遠につづくように錯覚する。 人生には時々、 「あの山を登れば、広い大きい海が見える」ということがあるものだ。 袋小路に負いこまれたと思った時、誰かが
『【愛は「死ね」とは言わぬ】愛とは何かと問われると、わたしたちは何と答えることだろう。 「愛とは忍ぶことである」「愛とは絶望しないことである」「愛とは許すことである」等々、色々な答がでる。それほど、愛という言葉には、沢山のものが含まれてい
『ふだんの何げない、たあいのないような会話さえ、うまくいかずに、どうして大事な話ができるだろうか。 人間の理解というのは、小さな会話のつみ重ねの中に生まれていくものなのではないだろうか。 どんな小さな会話だって、やはりその人間の人格に咲い
愛とは、なすべきことをなす意志なのです。情に流されるのが愛だとまちがわないでほしいのです。(三浦綾子『小さな郵便車』)
『「人間には、決して他の人に代わってもらえないことがあります。例えば呼吸すること、食べること、そして考えることなどです。これは自分自身が負うべき責任です。」 なるほどと私は思った。自分がいかに面倒くさいからといって、呼吸することを人に代わ
何度でも手をかけることだ。そこに愛情が生まれるのだよ。ほうっておいてはいけない。人でも物でもほうっておいては、持っていた愛情も消えてしまう。(三浦綾子「続・氷点」上)
あなたの気持ちはわかります、と言えば、わかるものか、とあなたは怒鳴る、わからないと言えば、どうしてわからないのか、と怒鳴る。どちらも甘えです。静かに話し合うという忍耐心が私たちには必要なのです。 (三浦綾子『ナナカマドの街から』)
自分をいとおしんで欲しいのです。愛して欲しいのです。自分をっ正しく愛することが多ければ、人を正しく愛することも多くなると思います。(三浦綾子「藍色の便箋」)
(愛するとは・・・・・・)ふっと、洞爺丸で会った宣教師が思い出された。(あれだ!あれだ!自分の命を相手にやることだ) 啓造は思わず膝を打った。 (三浦綾子『氷点(下)』)
「ほめられて増長する人間よりも、一層努力する人間が多いものだ。相手を伸ばしたいと思ったら、ほめ言葉を惜しんではならない。親や教育者、上司は無論のこと、夫婦においても同様、一日に一度は相手をほめようではないか。」(三浦綾子『太陽はいつも雲の上
『ふつう私たちは、重い病を患うとか、人間関係がこじれるとか、経済的な危機に出会うことなどを試練と呼ぶ。 すなわち苦難をもって試練と解するときが多い。が、試練は必ずしも苦難と共に来るとは限らない。 家業が思わざる繁栄に遭う時もまた、私たちは大
神よ人生は一人 林を歩み行くようなものかも 知れません自分の前には何の道もなくまた 自分の後を従いてくる者もありませんそんな辛いものかも知れません。でも、どんな辛い道でも主が手を引いて下さるなら私たちは 安んじて生きて行けるのではないでしょ
その死ぬということをどういうふうに毎日受けとめていくべきか。これは自分自身の死を考えることであり、自分の死を考えることは自分の生を考えることですけれども、やっぱり人の死を考えることは人の生を考えることですよね。(三浦綾子対話集2)
「雲の上には、いつも太陽が輝いているのです」そうだとわたしは思った。二人の一生には、いかなる悪天候があるか予測できない。しかしどんな悪天候の日であっても、その黒雲の上には必ず太陽が輝いているのだ。雲はやがて去るだろう。だが太陽は去ることはな
『現代の私たちは、思った以上に、「しかし仕方がなかった」と言い過ぎる。私たちは、いかなる苦境に遭遇しても、簡単に「仕方がない」と諦めてはならないのではないか。とことん粘り強く問題に取組む精神を養っていたいものである。』(三浦綾子『明日をうた
『土の上にまいた水がただちに乾いてしまったとしても、その水が土地を潤したことだけはまちがいなく事実である。毎日毎日読む本が、何の役に立たないようでも、知らぬ間に地下水のように心の底を潤すようになるのである。』(三浦綾子『わが青春に出会った本
『「生きるって、大変ね。明日の日に、何が起きるか、わからないんですもの。 受けて立つより仕方のないのが、人生のような気がするのよ、孝介さん。「受けて立つか、大変なことですよ、それは」「そうね、起きてくること、ひとつひとつに正しい判断を下した
『挿木(さしき)をした時に、水を与えすぎると、けっして根を張らないということである。枝は青々と芽吹いても、決して自らしっかりと根を土におろさないのだそうである。ところが水分を控えめに与えると、かえって自然に備わった生命力が水を求めて、しっか
当たり役の「女の一生」を、杉村さんは数え切れぬほど演じてきたわけだが、「舞台の袖に立って出番を待つ時、わたし、恐ろしくてからだがふるえるのですよ」 と言われた。何という謙遜な言葉であろう。岩永先生を始め、真に偉いと言える人は、毎日このような