「花を見ても果物を見てもきれいやし、うまいし、バナナかて西瓜かて、りんご、みかんかて皆第一級の作品や。じっと見とると、創造者は人間がかわゆうて、どもならんと思うて造ったものばかりに思えるんや」(三浦綾子『あのポプラの上が空』)
「長いトンネルにも限りがある」わたしの長い療養中に母が言った。「綾ちゃん、どんなに長いトンネルでも、一歩一歩歩いて行けば、いつか明るい外に出るんだってよ」 この言葉は、わたしの胸に強く刻まれた。そうだ。どんなに辛くても、一歩一歩あるいて行こ
「恩を知る」と「恩を返す」とでは格段の相違です。私たちは毎日の暮らしの中で、知恩はないけれども返恩ばっかり。でも、恩とはもともと返すことのできない性質のものですよね。(三浦綾子対話集2)
学校は愛を教える所だと思ってます。先生が愛を持って自分を見てくれている、と思うと、この人のためにがんばろうという気になる。子供だけじゃなくて、人間ってそういうもんじゃないですか?(三浦綾子対話集2)
旧約聖書には、救い主がどのようにしてこの世に来、どのような最期を遂げ、どのように復活するかが予言されている。イエスはその預言のごとく来、去り、そして復活した。つまり、預言はことごとく成就したのである。(三浦綾子「新約聖書入門」)
原子力発電というのがあります。あれをやったらどれだけいいことがあるのか、私には分かりませんがとにかく安いんだそうです。安ければいいんですか。あそこでできたものがものすごく恐ろしいもので、その廃棄物をどこにやったらいいかと今、幌延(ほろのべ)問
あなたは自分の中ばかり見つめている。しかし、その目を周囲に向けてごらんなさい。あなたの助けを待っている人を、きっと発見できるはずです。誰かの役に立つという、そういう思いを持って他の人々に目を向けなさい。 (三浦綾子『キリスト教・祈りのかた
大人の方々の前で失礼ですけれども、大人の中には意地の悪い人もあるのではないかと思います。でもわたくしたちは、その意地悪に負けてはならないと思います。どんな意地悪をされても困らないぞという意気込みが大切だと思うのです。泣かせようとする人の前で
本心に立ち返るとは何か。それはわが家を思い出すことである。わが父を思い出すことである。自分を最も愛してくれる者を思い出すことである。そして思い出して帰ろうとすることである。(三浦綾子『新約聖書入門』)
『人間一人が、死ぬか生きるかの目に遭っていても、傍の者からは、この程度にしか受止められぬこともある、ということをその時身をもって知りましたなあ。 目に見える形のことさえそうであれば、まして、目に見えぬ心の悩みなど、人は気づかぬものでしょう
自分が、他の人に、どれほど大事なものを上げることができるかで、その愛がわかる。物惜しみする人には愛はない。キリストは最も大切な御自分の命さえ惜しみ給わなかった。(三浦綾子「太陽はいつも雲の上に」より)
馴れるということは、何と恐ろしいことであろう。馴れることによって、感謝すべきことさえ不満の種になってしまうのだ。(三浦綾子「愛すること信ずること」)
自分が得をするようなことに出会った時は、人間試される時だと思う。得をしたと思って喜んでいたら、大いに誤るということがある。人間、利には目がくらむものだ。(三浦綾子の言葉『人間の原点人間の原点―苦難を希望に変える言葉 』)
人間はね、ふだんぶらぶらしててね、いざとなったらやるんだって言ってみても、駄目なんだよ。人間って、ちょっと油断するとすぐに怠け者になるからね。毎日の、何でもないようなことでも、怠けないようにするって、大事だよ。(三浦綾子の言葉『人間の原点人
わたしたちの今日の一日を、ここで一人一人顧みていただきたい。今日の一日は、あなたの人生に、あってもなくてもよい一日だったか。どうしても、なくてはならぬすばらしい一日だったか。もしくは全くなかったほうがよかったような一日だったか。 そしてまた
人生における出来事は、たいてい突如として起こるのですな。この『突如』に対応するには、日頃の人生に対する考えの深浅が勝負を決めるようです。(三浦綾子『夕あり朝あり』)
私はね、人間って「ごめんなさい」と神様にも人にもいえる。自分が許してもらわなければならない存在だと知ることが大切だと思うの。あの作中の登場人物にしても、許しという問題で誰一人としてそこまで突っ込んで考えている人がいないのよ。 人間なんて、ど
人間は自分の舌で自分を不幸にもし、人をも不幸にしている。またその舌で自分を幸福にし、人を幸福にもする。(三浦綾子「北国日記」)
とにかく、今という時が、二度と帰らぬことを知って生きることはすばらしい。この二度と帰らぬ毎日の中で、わたしたちは生きたしるしに、何を刻み、何を記していることだろう。(三浦綾子『旭川だより』)
残されたぼくたちが意味ぶかく受けとめて生きていく時に、ほんとうの意味で、死んだ人の命が、このぼくたちの中で、生きているといえるのではないだろうか。(三浦綾子『塩狩峠』)
わたしたちは往々にして、その尊いエネルギーを、何に注ぐべきかを知らずに動きまわることがある。情熱が空転することがある(中略) 自分の生きる目的がわかっていると、このひたすらな情熱が、何に注がれるべきかを知ることができるのだ。情熱が生かされ
今の君にぼくが贈るのは、「われわれ人間はすべて、弱さと過ちからつくられている。われわれの愚かさを許し合おう。これが自然の第一歩の掟(おきて)である」という言葉です。この言葉を、真剣に考えてください。 〈三浦綾子「帰りこぬ風」〉
「信用を失った者は、死んだも同然だ。一旦信用を失ったら、それを取り返すのに、倍の苦労では足らないですよ。百倍もの真の姿を見せなければ、元の信用は戻りません。」(三浦綾子『嵐吹く時も』より)
人間は弱い者である。 たとえ幾多の才があっても、大きな意欲があっても、「ダメな奴」と言われればたちまちしぼんでしまう。 逆に、才がなくても気力がなくても、相手の一言によって生きる力を与えられる (三浦綾子『忘れえぬ言葉―私の赤い
結果的にはどうであっても、わたしたちは、その為し得たことを感謝すべきではないでしょうか。人に喜ばれると思ってしたことが、裏目に出るのが、とかく人生なのですから。(三浦綾子『小さな郵便車』)
来月綾子さんのご本が出ます〜♪新刊(単行本未収録エッセイ)&文庫です。【新刊】4月1日(金)発売:三浦綾子著『国を愛する心』(小学館新書) 価格760円+税〈 書籍の内容 〉・・・小学館のサイトから引用“今を生