私たち人間は、一つ善いことをしただけで何か大きなことをしたような気になったり、自己満足をしたり、恩着せがましい思いになったりするものである。(三浦綾子『新約聖書入門』)
「自分の中ばかり見つめるのはおやめなさい。その目を周囲の人に向けなさい。あなたの助けを欲しいと思っている人が、必ずいるはずです。」と言われた。私は、はっと目覚めたことを覚えている。(三浦綾子『忘れえぬ言葉―私の赤い手帖から』)
人と猫、人と犬でさえ、このように心が通ずるとすれば、まして人と人とは、どんなに思いが通ずることかわからない。自分が嫌いだと思えば、その人も自分を嫌いだと思うだろう。これからは、なるべく人にはやさしい心を持って、つきあっていかなければならない
しかし毛虫は、飽きずに、こりずにまたのぼる。(中略)だが遂に、実に遂に、毛虫はその高い土をよじのぼったのである。私は深く感動した。「あいつは虫けらのような人間だ」などというが、冗談じゃない。虫といえども、私たち人間よりも、こんなにも根気強いも
人間はまことに過失を犯さなければ生きていけない存在である故に、われわれは、ただ神と人とにゆるしていただかなければ、生きて行けない者なのであります。(三浦綾子『ひつじが丘』)
「失敗は成功のもと」という言葉を書いたが、「成功は失敗のもと」と言い替えてもいい。とんとん拍子に行く時こそ、一番危ない時かも知れない。(三浦綾子『あさっての風』)
「言いにくいことを言ってくれる人を、ありがたく思わねばいけないよ」と母はよく言っていたが、...人間幾つになっても、甘い言葉には弱いものだ。(三浦綾子『人間の原点―苦難を希望に変える言葉 』)
わたしたち人間は、それぞれに、どんでん返し的意外性を持っている。だが、そのみにくさ、弱さ、すべてを含めてご存じの神に、まったくよりすがるということが、何よりも大事なのだ。人はどんでん返しに驚くが、われらを造られた神は、初めからお見通しなので
人間を人間として見ることが、実は本当の意味でその人を正しく見ることなのである。そして、そこから出る尊敬が本当の尊敬なのである。(三浦綾子『私にとって書くということ』)
どんなに丈夫な人でも、どんなに裕福な人でも、どんなに頭のよい人でも、どんなに幸せな人でも必ず死ぬ。 その死は、人間にとって、それこそ、最後の「義(ただ)しい務(つとめ)」なのだ。八十になり九十になって、この世に充分功績を残したからといって「
人間は弱いものだ。たった一人の人の優しさにでも触れることができたなら、侘(わび)しい人生が次第に喜びの人生へと、変えられていくのだ。葉書一枚を書くことによって、何が起きるか、今すぐペンをとって見ようではないか。(三浦綾子『明日のあなたへ』)
その死ぬということをどういうふうに毎日受けとめていくべきか。これは自分自身の死を考えることであり、自分の死を考えることは自分の生を考えることですけれども、やっぱり人の死を考えることは人の生を考えることですよね。(三浦綾子対話集2)