『本当の戦争というものの、非情さ無残さを、戦争を知っている者たちは本気で語り残さねばならない。 相手が好もうと好むまいと、私たちは語ることによって、次代を負う人びとに追体験させなければならない。 そして戦争が決してカッコいいものではない
考えてみると、わたしたち人間は、確かに何者かに征服されている。何者かの奴隷になっている。自分が何の奴隷になっているかを知るためには、自分が何に捕らわれているかを思えばよい。朝から晩まで女のことを考えている人は、女に征服されている人だ。金のこ
おざなりの言葉が文化を滅ぼすって、川谷牧師が言われたことがあります。その人に来てほしくないのに、「そのうちにらっしゃいね」とか、行こうとも思ってないのに、「行くわね」とか、そういう言葉の積み重ねからは何も生まれない。 だから、よく考えて真実
「一流の人物は弁解をしない」という言葉を近頃聞いた。人間は誰しも自己弁護をしたがる。自分を正しいとしたい。そして相手を責めることに急になりがちである。このために長い間かかって築いた友情や信用を失ってしまう。(三浦綾子『遺された言葉』)
私たち人間は、本来、自分が損をしないように生きようとする存在だ。快く生きたい。楽をして生きたい。得をするように生きたい。これが大方の人間の姿なのである。 (三浦綾子『天の梯子』)
信頼しきっていた人間に裏切られるほど苦痛なことはない。はじめから信頼してもいない人間の裏切りは、それほどわたしたちを怒らせはしない。(三浦綾子「旧約聖書入門」)
考えてみると、大半の人を信じないでわたしたちは生きているのだ。けれども、その中の一人ぐらいは信じられる、と思っているだけなのかもしれない。(三浦綾子「帰りこぬ風」)
現代人は挨拶を知らないという。いや、知らないのではなく、本能的に挨拶の大変さを知っているのかも知れない。挨拶にともなう責任の大切さを知っているのかも知れない。挨拶をしないということは、連帯を恐れ避けているということでもあるのだろう。(三浦綾
やっぱり全部が変えられるということなんでしょうかね。キリストに出会うということは。(三浦綾子「銀色のあしあと」)
『粗雑に生きている人間、感動うすく生きている人間、不真実に生きている人間、不遜(ふそん)に生きている人間の歌はいかに「生のあらわれ」ではあっても心打つ歌とはなり得ない。 茂吉のように小さいもの、かすかなるものをもいとおしむ豊かさと、いつい
「戦争だから仕方がなかった。みんなが死んだ時代だ。仕方がなかった」と私たちは言う。が、本当に仕方がなかったのか。なぜ殺人を正当化する理由が戦争にあるのか。(三浦綾子『難病日記』)
「さあ、地球は丸いですからね。自分の住んでいる所が中心だとすると、そこから一番遠い所が地の果てでしょうね」「そうかも知れませんわ。そして地の果てだと人が思っている所に住んでいる人は、そこがまた地球の中心と思っているかも知れませんわ。神さまが
正しい言葉は人の耳に痛い。親にでも、きょうだいにでも、または友人、職場の同僚にでも、ちょっと注意されただけでカッとなり、憎くなるのが人間である。(三浦綾子「旧約聖書入門」)
自分の人生において、どのような存在となるかわからずに、敵と決めてしまうことは、これはまことに愚かしい。(三浦綾子『夕あり朝あり』)
人間の生活って、感覚的なものだけを満たそうとしたら、結局、いつまでたっても、満足することはできないわよ。刺激は刺激を求めるのよ。(三浦綾子『この土の器をも』)
わたしは今は幸せである。しかし、「今日は幸せだ。しかし明日はわからない」という謙遜さが、必要ではないかと、わたしはわたしに言いきかせている。(三浦綾子『孤独のとなり』)
「金を持たせると、その人がわかる」という言葉と、「金を失うと、その人がわかる」という言葉がある。 いずれにしても、人間が金にふりまわされやすい存在であることを物語っている。(三浦綾子『聖書に見る人間の罪』)
私は、好きなだけの感情を決して恋愛だなんて認めていません。恋愛とは全人格的なものでなければならないと思うんです。(三浦綾子対話集2)
「わしはな景子、宗教というのはわからんが、お互いを受け入れるということが、宗教心ではないかと思うのだが、お前はどう思う?」(三浦綾子『あのポプラの上が空』)
いいえ、あなただけが罪ふかいのではないのです。今、そこにいる人たちも大人も子供もみなおなじです。(三浦綾子『珍版 舌切雀』)
「人生というものは、とにかく、この一分後に何が起こるかわからないものなんだ。死ぬまでには、いろいろ辛い思いもするさ。肉親や友人との死別もある。ま、大変なことが待っているのが人生だ。そして、それを一つ一つ乗り越えて行くのが、本当の人生というも