まじめに生きた人は、時間を無駄に生きていないから、その内容が豊富である。(三浦綾子「愛すること信ずること」) #三浦綾子
『貧しい人には暖かい心を、悲しんでいる人には親身の涙を、疲れている人には慰めのことばを与えてあげてください。』(三浦綾子『孤独のとなり』)
プレゼントにもはかりや物差しがどうしても伴うわけですね。恋人にプレゼントするときの気持ちはどうかって、私思うんです。そんなときは借金をしてでも素晴らしい贈り物をしたいものですよね。そのお返しはもらわなくていい。ただ、受け取ってくれるだけで幸
「人が死んで、後に残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」というジェラール・シャンドリーの言葉があります。多く集めた人が、歴史に残るのだと思って胸像やなんか建てたりしますけれども、やがて時が経つと、けとばされた
これから死ぬまでの間に、私はまだまだ多くの人の言葉に励まされ、教えられて生きて行くにちがいない。私を強めてくれるこれらの言葉は、私にとって何物にも替えがたい宝なのだ。その宝を土台にして生きて生きたいと思う。人間というものは、誰の世話にもなら
【全国の三浦綾子読書会をご報告するシリーズ】今回は昨日開かれた東京中野三浦綾子読書会の様子をご報告します。日時:2017年12月16日(土)14:00〜16:00会場:新中野キリスト教会課題:嵐吹く時も(上) (単行本の場合には『曲り角』まで)会費:300
わたしたち人間は自分たちが、常に危険にさらされ易い一人一人であることを知って、謙遜に頼まなければならない。(三浦綾子『孤独のとなり』)
国を愛する愛し方というのは、ひと通りしかないと思いこんではなりませんわな。人間は十人十色です。戦争に協力するばかりが愛国心ではない。政府に協力するばかりが愛国心ではない。反対するのもまた、愛国心の然らしむるところです。戦争に向かう人間たちの
私たちに裁く権利はありません。だけど神様は間違いなく裁ける方だから、結局は裁きをなさってくださるだろうと思っています。(三浦綾子対話集2)
本心に立ち返るとは何か。それはわが家を思い出すことである。わが父を思い出すことである。自分を最も愛してくれる者を思い出すことである。そして思い出して帰ろうとすることである。(三浦綾子『新約聖書入門』)
「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」という、謙遜な祈りを、私たちもまたキリストにならって祈るべきではないだろうか。こうした思いを持って、私たちが日々を生きる時、自分の思いのままに生きる時とは、全く違った自己のあ
「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。」(三浦綾子『続・氷点』上)
歩いていて転ぶ時と一生懸命走っていて転ぶ時と、いずれが痛いか。いずれの傷が大きいか。傷は一生懸命に、真実を生きたことのしるしだ。 〈三浦綾子『太陽はいつも雲の上に』〉
まったく人生は、常に突然のできごとに会うものですね。病気や、火事や、交通事故、そして地震など、それは常に突如として起こるものであることと、わたしたちはじゅうぶん知っているはずですのに、何といつも不用意なことでしょう。いつも事が起こってから、
わたしが死にたいと願ったあの夜の海辺では、わたしは死ぬことができなかった。しかし、いままた生きようと思いはじめた時に、死はいつわたしの上に訪れるか、わからないのだ。死にたいということは、わたしの強烈な願いであり、意思であったはずなのに、しか
原子力発電というのがあります。あれをやったらどれだけいいことがあるのか、私には分かりませんがとにかく安いんだそうです。安ければいいんですか。あそこでできたものがものすごく恐ろしいもので、その廃棄物をどこにやったらいいかと今、幌延(ほろのべ)問
自分の隣人を愛するということを生活の中にいかすには、人生を意志的に生きなければできることではありません。誰だって「ああかわいそうだな」と思うことはあっても、自分の損になることはしたくないものです。自分の中に隣の人のことを考えられる場所をもつ
馴れるということは、何と恐ろしいことであろう。馴れることによって、感謝すべきことさえ不満の種になってしまうのだ。(三浦綾子「愛すること信ずること」)
わたしたちひとりひとりの命はかけがえのないものだ。そのかけがえのない命を、生かされるままに、せいいっぱいに生きて行くすなおさをわたしは持ちたいと思っている。(三浦綾子『あさっての風』)
私たちのほうから挨拶してみませんか。「お元気ですか」 とこちらから先に声をかけてみませんか。誰もがそれを望んでいるのです。人が悪意を持っていると感ずる時、大ていの場合誤解が多いのです。(三浦綾子『風はいずこより』)
わたしたちは、自分の罪を計る物差と、人の罪を計る物差と、二つを持っているとわたしは書いた。自分に都合のいいはかりを持っている。これが自己中心のあらわれである。この自己中心が罪のもとだと、わたしたちは教えられている。自分中心にものを考えること
「月や花は、人が美しいと言おうが言うまいが美しい。同じく、みにくいものも、ほめられようがけなされようが、みにくいのだ」(三浦綾子『愛すること信ずること』)