愛するとは、ゆるすことでもあるんだよ。一度や二度ゆるすことではないよ。ゆるしつづけることだ。(三浦綾子『ひつじが丘』)
他人には完全を求め、自分の現状を許すということは、つまりは、自分自身に自分の欠点が見えないからだ。自分をよしとしているからだ。(三浦綾子『北国日記』)
人にしてあげた良いことは、自分から見れば、それは「大変良いこと」であり、人からしてもらった親切や、心づかいは、してもらったほうからいえば「それほどのことでもない」か「当然のこと」なのです。(三浦綾子『小さな郵便車』)
私たちが人間として生きるということは、パン以上に大事な人間の自由、人権があることを知ることなのだ。(三浦綾子『聖書に見る人間の罪』)
傍目八目(おかめはちもく)という言葉がある。傍の人が当の本人の気づかぬ、八目先を読んでいるということである。それほど人のことというものは、人間は冷静に判断できるものなのだ。その人自身も、自分のこととなれば、他の人より八目劣るにちがいない。(
わたしたちは、孤島にでも行かない限り、人とつき合っていかなければならない。そこには、甘えのない一つの決意が必要だ。(三浦綾子『孤独のとなり』)
ペットは人間の子より可愛く、夫よりも可愛いとお感じになることはありませんか。もしそうだとしたら、その原因は、先ほど申し上げたように、ペットは自分の痛いところにはさわらない。自分のしたいようにさせてくれる、自分の思いどおりになる、ということに
まず自分を誤魔化して生きて行くような生き方をするくらいなら、死んだほうがよいと思います。正直に率直に生きていきたい。(三浦綾子『生命に刻まれし愛のかたみ』)
善意ですら、人の迷惑である。善意は宝だと思っているその宝が、他の人には迷惑であると思う時、わたしは、人間がまことに不完全な存在であることを、つくづく感じさせられる。つまり、善意も一つのエゴなのだ。この不完全を完全にしてくださるものが、キリス
「舌先三寸で人を殺す」というような言葉も、「刺し殺すような目」という言葉も、これは私たち人間の実態を適確に言い当てた言葉である。私たちはしばしば不用意に、じろりと人を見たり、言ってはならぬことを言ってしまうことがある。 この「不用意に」見た
忙しいという字は、ご覧の通り心が亡びると書く。心が亡びる状態は、人間として最も恐ろしい状態ではないだろうか。体が亡びる状態、これも確かに恐ろしい。人間はいつか、ついには体が亡びてしまう。つまり死んでしまう。死は人生の一大事である。しかし心の
自分自身の身に起きたことなら嗤えぬことを、他人事なら嗤うとい冷たさは、決して許されることではあるまい。嗤うべきことは、他人の失敗や不幸を見て嗤うおのれ自身の姿ではないだろうか。 人を嗤った時、その時の自分こそ嗤われる人間なのだ。わたしたち
「ふーん、しかしだな。金は、あっても邪魔にはならんぞ」「そうかな。金って意外に邪魔なものかも知れんと思うよ」きっぱりと文治は言った。キワはちょっと目を瞠(みは)った。長吉が似たことを言ったことがある。「西郷隆盛という男は、子孫のために美田を買
…合わせると二十年を越える闘病生活だ。ある一時期は臥(ね)たっきりの幾年間もあった。微熱に悩まされる果てしない年月もあった。 が、よく考えてみて、私が病気で失ったものは何だったろう。そう思った時、私は驚いた。何と私が失ったものは、健康だけと言
緋紗子の胸に、更に激しい憤りが渦巻いた。緋紗子はしきりに、美しいものを見たいと言い始めた。「美しいものって何だね」康郎が尋ねるうと、「海でもない、山でもない、川でもないわ。わたしはこの目で、今日本の滅びを見ているような気がするの。ね、この戦
「人間というものはね、言って見れば、存在そのものが罪なんだ。今天使のような心を持っていたとしても、一分後にはふっとよからぬ思いが胸をかすめる、そうしたどうしようもない存在だからこそ、神の子であるキリストが、ぼくたちの罪を負って、代わりに死ん
「生きているくせに文句を言うな。」「生きているくせに文句を言うな。?」「うん。あの時死んだ人たちは、みんなそう言うだろうと思ってな。」(三浦綾子『続・泥流地帯』)
『・・ろくろく話も始まらないうちに「解散!」と言われては、聴衆が騒ぎ出すのは当たり前です。ところが待っていたとばかりに、騒ぎ出す者を警官が引き立てて行く。こんな馬鹿な話がありますか。もっとも、いくらか喋らせておいて、途中で「弁士中止」という
『・・戦争がなかったから平和だった、というのはインチキではないか、と思う。 現にこの五十二年間でも朝鮮戦争に始まり、ベトナム戦争、湾岸戦争と、わたしたちが直接手を出さなくても、間接的には深く戦争に関係してきた。 それに今の時代は平和そうに見
思い立って、すぐ実行に移す人間は、必ずしも実行力があるとはいえないのだそうである。むしろ意志薄弱で、自己抑制がきかないのだという。行動力があるなどといわれて、いささかうぬぼれていたわたしは、実は意志薄弱型の人間なのだと、思い知らされたのであ
わたしは悲しいのです。悲しい時は、涙が出ない。へんに歪んだ微笑みだけが浮かぶのです。なぜなのでしょう。(三浦綾子『帰りこぬ風』)
やさしさが本当に大切なら、なぜ大量殺人を認めるんだ。なぜ本気で、人間はどう生きるべきかを考えないんだ。大人がさ、大きな口を叩くんなら、まず殺すことのない世界を築くことだよ。(三浦綾子『水なき雲』)
自分が善いとか、正しいとか思っている人たちの家庭には、けんかが絶えない。自分が悪かった、間違っていたと思っていて、けんかになることはない。(三浦綾子『続氷点(下)』)
生きているということは、喜びよりも、苦しみの多いものなのだ。にもかかわらず、生きていたいということは、一体どういうことなのか。(三浦綾子『喪失』)
とにかくさ、武器を造るとか、原爆が必要だということは、どこかで誰かを殺そうとしているわけだろ。たとえ使わないとしても、人間に人殺しの武器を造らせること自体、やさしさの欠如じゃないか。どこの国も、兵器を持つことから出発している。しかし、それが
病弱な私が、この齢まで生き得るとは思わなかった。いや、生き得たのではなく、生かされて来たのだ。あと何年の命ありや、只主を証しせんのみ。(三浦綾子『難病日記』)