信夫はこん身の力をふるってハンドルを回した。だが、なんとしてもそれ以上客車の速度は落ちなかった。みるみるカーブが信夫に迫ってくる。再び暴走すれば、転覆は必至だ。次々に急勾配カーブがいくつも待っている。たったいまのこの速度なら、自分の体でこの
『この世は虚しさに満ちている。だから、この世に対して虚無を感ずるのはむしろ当然である。 虚しいものを虚しいと感ずることに、恐れることはない。恐るべきは、虚しいものに喜びや生甲斐を感じて、そこに浸ることである。 この頃よく、虚像と実像という
『「そうです。ぼくはともすれば、いいものをつくりたいと思うあまり焦っていたような気がするんです。しかしぼくは、ひとつのものを生み出すのに、時間をかけて待つということを今度知らされたような気がするんです。頭の中に何かひらめくでしょう。 すると
塩谷瞬さんのブログ(http://ameblo.jp/shunshioya/entry-12251273758.html)から
映画 母 初日迎えました!待ちに待った映画の初日。新宿と横浜の舞台挨拶に参加して来ました!劇場に向かうと沢山の人が並んでいて、100人近い人が入れなくて、すみ
誰の目にも触れぬ 深山の中に 美しい花の咲いているのを 見ることがあります おそらく その花に目を注(と)める人は 何年に一度あることでしょう でもその花は 懸命に 命の限り 美しく咲いているのです 人は見ずとも 神は見
「自分の非を素直に認めたり、まぬけさを客観的に笑えたら、これは立派だよ。人間、立派ということは、こういうことじゃないかな。ここには劣等感も傲慢もない。あるがままの自分を見つめる澄んだ心だけがある。寛(ひろ)い心と言ってもいいね」 〈三浦綾子
「雲の上には、いつも太陽が輝いているのです」そうだとわたしは思った。二人の一生には、いかなる悪天候があるか予測できない。しかしどんな悪天候の日であっても、その黒雲の上には必ず太陽が輝いているのだ。雲はやがて去るだろう。だが太陽は去ることはな
『人間が持つべき真実の生き甲斐とは、いかなる人間にも通用するものでなければならないと思っています。 その人が生き甲斐と思っているものを取り去った時、果たして何が残るか。只むなしさだけが残るとしたら、わたしはその人の生きがいと思っていたものを
人生とは、まことにふしぎなものである。たしかに、自分の予定していたようには、人生は展開しない。突如として思いがけないことが起こるものなのだ。(三浦綾子「道ありき」)
悩みは意外に、「自分の荷物は重い」とする自愛の心が、深刻にしていることもある。失恋に悩む人は、自分ほどこの世に惨めな者はいないと思い、病気に苦しむ人は、自分ほど哀れな者はないと思いこむ。悩みはえして、このように「思いこむ」ところから深くなり
『人生における病気、失恋、浪人、破産などのさまざまの失敗も、それにうちひしがれてはたんなる失敗で終わる。 世界一のホームラン王は、失敗もまた他の人より多かった。 失敗を恐れて何もしない人間こそ、全生涯が失敗となる。』(三浦綾子・光世『太陽は
挨拶がきっかけで出会った二人の間に何が展開するか、わからないのだ。良くも、悪くも、かかわりが生ずるということなのだ。 挨拶の目的は、つまり人間は人間とかかわり合って生きて行くという姿勢にさせることにあるのであろう。(三浦綾子『生きること思う
本当の意味で生きた人の死だけが、本当の死なのではないだろうか。生きているか、死んでいるか、わからない生き方では、本当に死ぬこともできないのかも知れない。(三浦綾子『光あるうちに』)
神様は何をお考えかということが分からないのに、人間が分かろうとするのは傲慢だと思うの。人間のあさはかな知恵ぐらいで、神様のなさることが分かったように言うわけにはいかないと思うんです。(三浦綾子対話集2)
『・・種も蒔かず、水もやらず、無論除草することもない人間に、結実の日は決してこない。楽しみのありようがない。 考えてみると、働くということ、勤勉ということは、何も結実の日のみが楽しいと言うわけではないのかも知れない。 耕すこと自体が楽しい。
大人たちはね、愛だのやさしさだのを言うけどさ、そんなこと本気で大事だと思っていない証拠が、厳然としてあるじゃないか。それは、どこの国も戦争を認めてるということさ。いいかい、みんな。戦争ってのは人を殺すことだよね。人間、人を殺す時に、思わずカ
一転して聖書に目をやると、「何事でも人々からしてほしいと思うことは、人々にもそのとおりせよ」「受けるよりは与える方がさいわいである」 というような、わたしたちには甚だ都合の悪い言葉が出てくる。わたしたちには都合の悪い言葉、これが、「真理」
日本アッセンブリーズ オブ ゴッド教団の機関紙月刊アッセンブリーに連載中の森下先生の記事をシェアします。AG教団の許可を得て掲載してます。『ひつじが丘』〜キリストの眼差しの前で
(愛するとは・・・・・・) ふっと、洞爺丸で会った宣教師が思い出された。 (あれだ!あれだ!自分の命を相手にやることだ) 啓造は思わず膝を打った。 (三浦綾子『氷点(下)』)
神よ人生は一人 林を歩み行くようなものかも 知れません自分の前には何の道もなくまた 自分の後を従いてくる者もありませんそんな辛いものかも知れません。でも、どんな辛い道でも主が手を引いて下さるなら私たちは 安んじて生きて行けるのではないでしょ
私はきょうだいを神が与えて下さった友として、もっと大事に理解したい気持ちです。親に対してもそうです。私は、父や母が私に食べさせて育ててくれたから、可愛がってくれたから、という以外に、好きな理由を見出したいのです。 (三浦綾子『生命に刻
私はきょうだいを神が与えて下さった友として、もっと大事に理解したい気持ちです。親に対してもそうです。私は、父や母が私に食べさせて育ててくれたから、可愛がってくれたから、という以外に、好きな理由を見出したいのです。 (三浦綾子『生命に刻