わたしたちも、日常の生活において謝罪することの実に少ないものである。神に対しては勿論のこと、人にもあやまることがはなはだ少ない。 (三浦綾子「旧約聖書入門」)
おざなりの言葉が文化を滅ぼすって、川谷牧師が言われたことがあります。その人に来てほしくないのに、「そのうちにらっしゃいね」とか、行こうとも思ってないのに、「行くわね」とか、そういう言葉の積み重ねからは何も生まれない。 だから、よく考えて真実
考えてみると、大半の人を信じないでわたしたちは生きているのだ。けれども、その中の一人ぐらいは信じられる、と思っているだけなのかもしれない。(三浦綾子「帰りこぬ風」)
自分の人生において、どのような存在となるかわからずに、敵と決めてしまうことは、これはまことに愚かしい。(三浦綾子『夕あり朝あり』)
人間の生活って、感覚的なものだけを満たそうとしたら、結局、いつまでたっても、満足することはできないわよ。刺激は刺激を求めるのよ。(三浦綾子『この土の器をも』)
「金を持たせると、その人がわかる」という言葉と、「金を失うと、その人がわかる」という言葉がある。 いずれにしても、人間が金にふりまわされやすい存在であることを物語っている。(三浦綾子『聖書に見る人間の罪』)
真実に人格とは何かということを考えたならば、自然に対話というものが生まれないではいられないと思うのです。人間は「人の間」と書くように一人では生きられないものなのです。(三浦綾子「あさっての風」)
愛とか、寛容とか、優しさがキリスト者のイメージのように思われやすいが、節をまげぬこと、そのために牙を持つことがなければ、その愛も正しく用い得ない(三浦綾子『忘れえぬ言葉―私の赤い手帳』)
「人生というものは、とにかく、この一分後に何が起こるかわからないものなんだ。死ぬまでには、いろいろ辛い思いもするさ。肉親や友人との死別もある。ま、大変なことが待っているのが人生だ。そして、それを一つ一つ乗り越えて行くのが、本当の人生というも
「人間、順調に事が運ばれている時の方が、思うようにならぬ時よりも、危険なのですな。思うようにいかぬ時は、謙遜であり得るが、意のままになる時は、自分自身の才や努力を誇って、傲慢になる」(三浦綾子『夕あり朝あり』)