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2017年07月18日22:21

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愛してます(涙)

無事に家族葬が執り行われ、ダンドリくん(←おいら)お役御免。
夕方には珍しく小1時間ほどの惰眠を貪った。

納棺の際、故人にこだわりのある品々を持ち寄って収めていく。
散歩の際、必ずかぶっていた帽子や、晩酌の友だったワンカップの日本酒、
母が心を込めて写経した般若心経と最期のラブレター。
この手紙、兄貴のスマホに写メされてお開きの挨拶で読み上げられることになる。
もちろん、母、承諾の上。
『60年も共に生活したのですね。・・・』から始まる小さく短い手紙は、末尾、この言葉で締めくくられている。

『愛してます』

84歳の母が、91歳で人生を終えた父に捧げたこの言葉。
ただただ、羨ましかったです。

フォト
次男坊のおいらは、日曜日のWINS川崎で仕入れた馬券。
三連単「15」「2」「16」は、父の誕生日、大正15年2月16日を案じている。
当たれば葬儀費用がチャラになるほどの大穴馬券だが、そこは生前から「競馬好きの馬券下手」な父なればこそ、カスリもせずにハズレ馬券。
一緒に、赤鉛筆と投票用紙も添えておいたが、スポーツ新聞(吝嗇家なので、競馬新聞はほとんど買わない父だった)を入れるのを忘れてしまった。
今夜の夢で叱られるかな。

ペン
ウマ《父と次男と競馬》
母や姉兄たちの話題をまとめると、どうやらこの父は、姉や兄と出掛けたときは動物園へ遊びに行ったついでに場外馬券売り場へ寄って馬券を買っていたらしい。
ハイセイコー全盛期までの時代。

末っ子である洟垂れ小僧(←おいら)は記憶が違う。
姉貴や兄貴が小学校高学年や中学生になると、日曜日の父の相手(←上から目線でごめん)は、必然的においらになる。小学校2年生ごろからになるだろうか。
当時、土曜日も仕事だった父は、日曜日になると鼻息荒くおいらを連れ出し川崎駅行きのバスに乗る。
行き先は京浜川崎(←当時の駅名)から乗車する電車によって判断する小学生のおいら。
横浜方面なら日ノ出町で降りて横浜場外馬券売り場(WINSなんていう愛称すらない時代)から野毛山動物園コース。
品川方面なら3通りあって、立会川で下車する大井競馬場コース、平和島で下車する平和島競艇場コース、さらに東銀座まで足を伸ばす銀座場外馬券売り場コース。
大師線に乗ることもあった。
これは1駅先の港町で降りて、川崎競馬場。
なぜか競輪には手を出さなかった父は、おいらにその理由をこう伝えていた。
犬「競輪は八百長だ」
ごめんね、中野浩一さん。おそらく、父に悪気は無い。

このうち、一番好きだったギャンブル場は平和島競艇場。
文字通り「競馬好きの馬券下手」だった父は、本命主義でほとんど穴を狙わない。
それでも、あまり当たることのなかった競馬に比べて、常に6艇立ての競艇は払い戻し窓口や、当時は場内にいた「両替屋さん」に並ぶことが多く、舟券が当たった払い戻しの硬貨を、おいらにお小遣いとしてくれるからだ。

小学生当時、父から教えてもらったこと。
・本命サイドの馬券が当たったら黄色い帽子をかぶった「両替屋さん」で払い戻しをする。
・多頭数の競馬は「予想屋さん」に100円払って教えてもらう。
・競馬場帰りに屋台で売られている時計や予想キットは買ってはならない。
・1「白」、2「黒」、3「赤」、4「青」、5「黄」、6「緑」・・・これは基本中の基本、イロハのイ。

オッズ掲示板(トータリゼータ)などの近代的なものは皆無。
平和島競艇では、売られた舟券の枚数が、大盤の黒板にチョークで記されていく。
何分間隔で書き直されていたのかは記憶にないが、締切5分前になると、小学生のおいらにはミッションが課せられる。
上位人気の配当(オッズ)を算出せよ。

配当金というのは、投じられた総額の75%が払戻金に充当され、投票された枚数で配分される。
例えばそのレースに総額で100万円が投じられていたら、的中者の払い戻しに使われるのは75万円。的中券に投じられた総額が7万5千円なら、オッズは10倍ということ。
父からの教えはこうだ。
「総投票数を半分にして、さらに半分にする(25%)。出した答えを総投票数から引くと、これが払い戻しの原資(75%)。この原資を、知りたい連勝複式の票数で割れば、オッズがわかる」

当時の平和島競艇、1レースの投票総金額は5,000万円内外。1枚100円だから、大黒板には6桁の数字で表示されている。本命なら5〜6桁ほど売れているので、割り算は6桁÷5桁。
これを暗算で即答しなければならなかった。
ちなみに、この能力は今でも活きている。

小学6年生になると、ハイセイコーの引退を横浜場外馬券売り場で知り、増沢騎手が歌う『さらば、ハイセイコー』に父子で涙する。
この頃、おそらく初期の電話投票システムが解禁され、おいらはおいらで中学生になりクラブ活動と映画鑑賞に忙しい休日を過ごすようになった。

必然的に父との競馬場通いが遠ざかり、会話も途絶えるようになっていく。
それでもダービーや有馬記念になると、家族を巻き込んでの予想合戦。
なぜか、この2レースは予想した馬券を父が自分の小遣いで買ってきてくれる。
当たれば映画代の足しになる。

高校2年ぐらいになると、友人や後輩連れて競馬や競艇に行くようになり、父との会話が復活する。
大学生時代には旅打ちと称して、全国各地の公営ギャンブル場へ一人旅していたが、この経験はそれからのアクティブな人間形成に間違いなく影響した。
20歳のころの日記を読むと、父から、
「もう二十歳になったから、堂々と競馬をやってもいいぞ」と言われたと書いてある。
さらに、
「何をいまさら!」みたいなコメントも当時の日記に書かれていた。

父にとって、競馬と大相撲がゆるやかな老後の愉しみ。
90歳を迎える頃になると、耳も遠くなり、判断力も弱くなったのか、電話投票からも引退し、
テレビ中継とラジオ実況で雰囲気だけ楽しんでいた。
昨年秋、中央高速から府中競馬場を見てもらったのが、《父と次男と競馬》の最後になった。
車椅子を押して競馬場に連れて行くことを、おいらなりの目標にしていたが、
叶うことなく召されていった。
ごめんね。

菩提寺に葬儀の相談とともに、添えた戒名のリクエスト。
蟹座「馬の一字を入れてもらえませんか泣き顔」
これは、僧侶の奥様から一笑に付され、いただいた戒名に「馬」の字は見られなかった。
「舟」にしておけば入れてくれたかな。

■日野原重明氏死去、105歳医師=生涯現役、患者本位の医療尽力
(時事通信社 - 07月18日 10:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4672985
父、大正生まれの享年91歳。
方や、日野原先生、明治生まれの享年105歳。
見事な大往生。合掌。
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