「終活」が始まっている。
老父から手渡された数少ない通帳には、その残高がほんの数千円というものもある。
ページを手繰ると一冊は「日本中央競馬会」、もう一冊は「テレボート」。
ギャンブルが電話投票を開始してからの第1期生会員で、自分の子どもたちの結婚式当日でさえ、公衆電話に駆け込んでGIレース(当時はクラシックレースと呼ばれていたはずだ)の投票を欠かさなかった。
残高の推移を見れば一目瞭然、その投票成績は、お世辞にも褒められたものではないが、レース場に出掛けることがなくなってからの土曜日・日曜日には日刊スポーツをめくりながら、自宅の黒電話に飛びついていた父だった。
通帳の記帳は平成26年で途切れている。
たしか「電話しても、耳がもう聞こえなくて・・・」という嘆きが切っ掛けだったと思う。
ちょうど、年齢も88歳。米寿を境に、70年近いギャンブル人生から足を洗ったようだ。
おいらにとっては、競馬競輪競艇オートの師匠の引退。
大正生まれの通帳を1冊読むだけで、彼の愉しそうな週末が読めてきた。
川崎に出てきて60年近く住み続けたこの地を離れたくないという大正男の美学、自宅の畳にこだわって休息を摂る老父。
そんな91歳の夫に寄添い24時間、我が身を惜しんで面倒をみている妻。つまり、母。
その母が、最近老人会の集いで知ったこの詞を、灯台の光源のように自らの精神力の糧にしている。
この詞は、親が子に託す手紙であり、我が身でいえば老父が私につむぐ言葉でもあろう。
ただ、お蔭様で優しい両親に育てられた自分は、老父の子ども還り、赤ちゃん還りに対して自然体で、かつ誇りをもって向き合えていると思っている。
父の日を前にして、こんな深い想いの一日があったということ。
今日の日記は、その詞だけを残しておけば、おいら自身の記憶になる。
JASRACに罰金取られ、mixi初の削除措置となるのだろうか。
まぁ、いいや。自分の日記に何を書いても自分のものだ。
どうせ、誰も読みやしない。

手紙 〜親愛なる子供たちへ〜
年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい
私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ

桂歌丸 “笑点”復帰で元気にトーク「これで声が出なけりゃミイラと同じ」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=4625249
ログインしてコメントを確認・投稿する