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2017年05月27日00:00

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ミラン・クンデラ著『冗談』

チェコのミラン・クンデラ(1929- )が書いた長編小説『冗談』を読む。
上下2段380ページの大作で、読了迄に時間がかかった。

チェコ・ブルノで生まれたクンデラは、1953年、24歳の頃から詩や短編小説を書き始める。
長編小説としてはこれが初、1961〜65年の間で書き上げ、1年間の検閲の後、同国で出版されたのは1967年。
10万部を超えるヒットとなり、1968年にはチェコスロヴァキア(当時)作家同盟賞受賞、映画化もされた。
しかし、1970年、この本は発禁扱いとなり、彼の全著作が同じ扱いを受ける事となった。

1968年は「チェコ事件」の年である。
クンデラも活動した「プラハの春」の自由化の波は、ソ連軍(正確にはワルシャワ機構軍という事になっている)の軍事介入によって終わりを告げた。
チェコもスターリニズムにどっぷり呑み込まれる事となった。

1975年、クンデラ、フランス・レンヌ大学客員教授として招聘。
1979年、チェコスロヴァキア国籍剥奪。
1981年、フランス市民権を取得。

クンデラは、フランスに移住後、チェコ語でなくフランス語で作品を書くようになった。
1982年に脱稿した『存在の耐えられない軽さ』は、1984年フランスで出版され、世界的なヒット作となり、1987年、アメリカで映画化された。

『冗談』は、共産主義下のチェコ社会に住む1人の男について書かれている。
大学に通う青年ルドヴィークは、自身エリートコースに乗っかっていると信じていたが、同じ大学に通う彼女に書いた絵はがきの文面が表沙汰となって、その内容を告発され、共産党委員会で吊るし上げを喰らい、遂に大学を追われ党籍も剥奪、勤労奉仕活動(強制労働に近いのではないか)の後、兵役となる。
若い時は、誰しも、ちょっとふざけたり、悪がってみたりして、好きな彼女や集団の前で目立ちたがるものだ。
謂わば「冗談」で書いたものが、社会で晒され、まともに社会主義革命不適分子の烙印を押されて、自分でも信じられないうちにあれよという間に転落していく。
その転落の道程と、その後が描かれている。
「冗談」はそういう意味であって、喜劇では全くない。
ルドヴィークは、この悪しき記憶を決して忘れず、転落のきっかけを作った人物達に復讐心を持ち続けながら、すさんだ生活を送る。

しかし、1992年に書いた「まえがき」で著者は、この小説はスターリニズムへの告発というような代物ではなく「ラヴ・ストーリー」なのだと主張している。
1992年は、クンデラは既にフランスに長くおり、母国や共産党の指摘に対してそう答えた訳ではない。1991年にソヴィエト連邦は崩壊している。
したがって、その発言は圧迫と無関係であって、心底からのものと考えてもいい筈だが、私は、その言葉を100%信ずるべきでないと考えている。

クンデラはプラハの音楽芸術大学を卒業していて、演奏も作曲も専門的な教育を受けた。
そういう経歴からきているからか、『冗談』は極めてポリフォニックな構造を持っている。
主人公は、先に触れた通りルドヴィークで間違いないが、小説には彼を含め4人の重要な人物が登場し、第1章から6章は、それぞれのタイトルに彼等の名を冠している。
何れも呼称は「私」であるが、それが誰を指すか、変化を注意して読まなければならない。
そして、最終章である第7章の題には、内3人の名前が併記されていて、前触れもなく、ある段落から「私」が変化するので、一層戸惑いもする。
この手法で、それぞれの人物は多面的な視点で捉えられ、同じ人物でも見え方が異なってくる。
また「私」の発言が、必ずしも表面的な言葉通りでない事も判る。

すさんだ生活の中でも、ルドヴィークは恋愛をする。
しかし、愛に求めるものは、人によって様々だ。
愛情を持ちながらも、ルドヴィークの心の奥底には、大学時代の悪しき経験がいつも口を拡げていて、それが彼を苦しめ続ける。
彼には、素の相手を許容する度量がない。その結果、心とセックスが、幸福な合一を遂げる事がない。
しかし、それはルドヴィークだけではないかもしれない。
誰も、様々な過去を持ち、深い傷を負っている。簡単にはそれを忘却できない。

ある日、ルドヴィークは、自分を吊るし上げた男と出遭う。
謂わば復讐の為に生きてきたルドヴィークは、それを実現すべくある企てを決行するが、相手は、何とルドヴィークに対してした事をさらさら記憶していなかったのである。
復讐は、忘却者には何の意味も持たなかった。

ルドヴィークは独白する、考えてみれば、人類の歴史は殆どそうした過ちと忘却の繰り返しだ。
個人と社会の関係は、時代によって極端な違いがある。正と邪がひっくり返った例も枚挙にいとまがない。それはまるで「冗談」であったかのように。
社会の時代時代のルールによって個人は規制され、傷付き、また抹殺される。
だが、時代は変化と伴にそれを忘却し、殺された人々の累々たる死体の上に、歴史は築かれていく。
時代も社会も過ちを贖罪する事等ない。
人は時代にも社会にも復讐する事はできない。
例えば、粛清された人々が何百万人いようと、彼等はスターリンに復讐する事はできない。
「冗談」にその人生を絡め取られたルドヴィークは唖然とする。


翻訳 関根日出男,中村猛
発行 1992年みすず書房
 
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