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2016年03月17日23:29

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文楽公演『団子売』,『心中天網島』

3/12(土)、浜北文化センター大ホールで文楽公演があった。
先立つ1/29(日)には、同センター中ホールで事前レクチャーの企画もあった。
以下で極く極く簡単に触れた。
参)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950011163&owner_id=3341406

まず今公演のデータの内、演目。

◆『団子売』
◆『心中天網島』より
・天満紙屋内の段
・大和屋の段
・道行名残りの橋づくし

『心中天網島』は、2013年のNHK-BSで、同じ場を観た。文楽の『天網島』公演ではこの3場のみ演ずる事が圧倒的に多い訳だが、そこでは、場の繋げ方に工夫を凝らしていた。
参)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1909840386&owner_id=3341406

また、昨2015年、NHK-Eテレで放送された歌舞伎四代目中村鴈治郎襲名公演の『河庄』、これも『天網島』だが、初代鴈治郎によって改編されたもので、趣きはかなり違う。
参) http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1943449067&owner_id=3341406

近松門左衛門(1653-1725)の名作(1720初演)だけに、映画も含めあちこちで様々な形で目にする

2013年の放送は、同じ文楽協会の公演なので、今回と重複は多い。
紙屋治兵衛は当時吉田玉女が主遣いをしていたが、今回は吉田玉男名である。
浄瑠璃は豊竹咲大夫が「紙屋内より大和屋の段」を語っていたが、今回は「大和屋の段」の切場のみやるという事前告知だったけれども、結局、体調不良の為、咲甫大夫が代役を務めた。
世代交代の時期を迎えている昨今だが、咲大夫の具合はどうなのだろうか。大過ない事を願うばかりだ。

次に演者。

◆『団子売』
浄瑠璃
 杵造 豊竹咲寿大夫
 お臼 竹本小住大夫
三味線
 鶴澤清志郎 他
人形遣い
 杵造 吉田玉佳
 お臼 桐竹紋臣

◆『心中天網島』より
・天満紙屋内の段
口 浄瑠璃 豊竹咲甫大夫
  三味線 野澤喜一朗
奥 浄瑠璃 竹本千歳大夫
  三味線 豊澤富助

・大和屋の段
切 浄瑠璃 豊竹咲大夫→(代)咲甫大夫
  三味線 鶴澤燕三

・道行名残りの橋づくし
浄瑠璃
 小春  豊竹睦大夫
 治兵衛 豊竹靖大夫
三味線
 野澤錦糸 他

人形遣い
 紙屋治兵衛 吉田玉男
 女房おさん 吉田和生
 粉屋孫右衛門(治兵衛兄) 吉田玉志
 五左衛門(おさん父) 吉田玉輝
 おさん母 桐竹紋臣
 紀の国屋小春 吉田勘彌

◆『団子売』について

「飛び団子」は米粉で作られた団子で、18世紀始め頃から明治迄、祭等人の集まる所で売られていたと言う。
団子の味だけでなく、臼と杵を持ち込み、それらを打楽器代わりにして賑やかに歌い舞うのを売り物にしていた連中もいたらしい。

この演目では、その名も「杵造」と「お臼」という美男美女夫婦の団子売りである。
商売道具一式を持ち下手から登場。臼を中央に置いて、2人、めでたい歌を歌いながらリズム好く杵をつく。
途中からお臼はおかめの面に付け替え、面白おかしく身体を動かす。

女形の人形には足がないのが普通だが、お臼には足がある。
詳しい理由は知らないが、2人が杵を持ってつく姿は、臼を間にして左右対称の方がいいという事か。
また、決してお上品でなく、全身で元気に舞う踊りだから、裾さばきではとてもついていけないという事もあるだろう。

上品でないと言ったが、杵と臼は性的な交わりを象徴した風俗踊りである。
歌詞はこう、
「(前略)臼と杵とは女夫(みょうと)でござる。(中略)夜がな夜ひと夜おおやれやれな。ととんが上から月夜はそこだよ。ヤレコリャよいこの団子が出来たぞ。」
夫婦円満、子孫繁栄、めでたいめでたい、と。

◆『心中天網島』について

有名な物語であるし、以前の日記でも触れてきたから、今回は、これ迄に書かなかった細部のみを見てみようと思う。

まず前提として、紀の国屋の小春は下級遊女であるという事を踏まえる事が大事である由。
大阪のお上公認の遊郭は「新町」1つである。小春の居場所は「北新地」であって、上級では決してない。
しかも、小春は「湯女」上がりだそうな。
したがって、治兵衛も「花魁」(最上格の遊女)にうつつを抜かして大枚を蕩尽しているというのとはちょっと訳が違う。身請け金だって相場が全然違う。
小春が花魁だとしたら、治兵衛の遊びには可愛げがないし、観客も同情心が湧かない。

「天満紙屋内の段」の最初、小春と別れた治兵衛は、仕事にも身が入らず、炬燵に横になっている。
そこへ、治兵衛の兄孫右衛門と、おさんの母が心配してやってくる。
おさんは、治兵衛の点数を下げまいと気を遣い、起こして、形ばっかりでもと仕事をさせる。
治兵衛もその気になって、帳場に坐り恰好だけでもソロバンを弾く。
その玉を弾く音が舞台から聴こえるのだが、あれは多分主遣い(吉田玉男)が治兵衛の手に合わせてソロバンを使っているのではないか。それもパチパチと一玉ずつ弾く音だけでなく、五玉をジャラ―っと流す音も加えたり等している。(席が第1列目であったればこそだ。)
細部迄リアリティを意識しての事だが、少し笑いも観客席から起こる。
しかし、ここでは笑いも起こってよい。この後始まる、家族間の不幸なぶつかり合いから、最後の心中の場面迄一気に引っ張るのなら、ここで少し外しておくのが却ってよい。

「道行名残りの橋づくし」は、水の都ならでは、もはや2人に逡巡はなく、流れるように舞台は進む。
江戸時代、大阪の川と橋と地名が頭に摺り込まれている地元の観客ならば、ここは堂島蜆川、東へ行けば難波小橋、更に東に行って天神橋を南へ渡ったら、対岸をまた東、そして天満橋を通り抜け、京橋を北へ行くと、もう最終地点、網島の大長寺、と、自身でも歩いた気になるであろう。
背景の大道具はパタンパタンと倒れ、絵幕を下ろして次々に新しい景色を導く。それは怖ろしい程のテンポである。「橋づくし」とはよく名付けたものだ。

人形はこの時、ある情念の結晶と言うべきか、一種の化身となっている。
人間の俳優ではこうはいかないだろう。その顔からは、邪念や疑念、美醜含めいろんなものが見え隠れしてしまうに違いない。
そこは人形の良さである。死ぬしかないと思い詰めた、その純粋さには何も混じり気がない。
動きや表情の不足する分は、観客の想像力が補うであろう。
 
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