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2015年09月14日23:40

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「北川民次展」/瀬戸市美術館

9/9(水)に行くつもりにしていたが、台風のせいで延期していた愛知県へ、9/12(土)に出かけた。瀬戸市美術館で開催中の「北川民次展」と、名古屋市美術館の「画家たちと戦争」展を観る為だ。

瀬戸市美術館へは初めて行った。
JR東海道線で浜松から愛知県の金山、JR中央線に乗り換え大曾根迄、更に名鉄瀬戸線に乗り換えて終点の尾張瀬戸。ここからだらだらの上り坂を徒歩15分。
浜松発8:32の在来線に乗り、美術館着が11:00過ぎ。
尾張瀬戸駅の周辺ではちょうど「せともの祭」をやっており、大変な人手。その間を掻き分けて進む事に。
美術館は瀬戸市文化センターの敷地の中にある。新しく、立派な建物が並ぶ。
何故か知らないが、センター内のレストランは臨時休業。
バックからビスケットとお茶を取り出し、ロビーの隅で食べ、空きっ腹をごまかす。

北川民次は瀬戸に暮らした時期が長かったので、関連の施設が多い。図書館他には壁画もあるらしい。
美術館も彼の作品を多数所蔵しているし、瀬戸信用金庫も持っている。それらが今回の企画展示となっている。
・会期 7/4〜9/27

展示総数116、うち油彩30点強、水彩・素描類が10点強、様々な版画が残りという構成だ。
今展は生誕120年という記念の催しでもある。

北川民次は1894(明治27)年に、静岡県の現 島田市で生まれた。
1914(大正3)年に渡米、絵画の基礎を学び、1921(大正10)年にメキシコへ移住。
野外美術学校で児童美術教育に打ち込み、また、革命後の美術運動に参加、シケイロスやリベラ,オロスコ等と交友。
1936(昭和11)年に帰国。二科展にメキシコを画題にした作品を出展。
ヨーロッパ中心に影響を受けてきた日本の洋画壇にあって、北川民次の作品は特異であった。
戦時中は、瀬戸に移住。ここは妻の実家がある。
陶器工場の多い瀬戸の自然や文化,人々を愛し、まつわる作品を数多く作り、民衆と伴に生きた。
また引き続き児童の美術教育にも情熱をかけた。子供達には自由な表現をさせ、創造美育運動(協会は1952〜)を展開した。
娘は瀬戸で生まれた彫刻家加藤昭男(1927-2015)と結婚している。
美術館では「加藤昭男の彫刻」展も併設されていて、ブロンズや陶,テラコッタ等、約20点が展示されている。

北川民次は、戦後は二科会の会長職に就任するなど、日本画壇を精力的に牽引し続け、1989(平成元)年、95歳で亡くなった。

彼の作品は、構成志向があり、強い黒の輪郭線が使われている。これは版画との連動性があるだろう。
フォーヴィスムやキュヴィスムの影響も見られる。
色は明るい原色が多用され、マチエールにも強い嗜好がある。
《陶工たち》(1959)
フォト


北川はバッタが好きでよく描いた。バッタはメキシコ民族のトーテムとしての意味がある。しばしば自分をバッタに見立て、また、社会風刺として、米軍の象徴等、そのモチーフをぎっしり並べている作例もあった。(→名古屋市美術館「画家たちと戦争」展)
加藤昭男に《バッタの仲間》(2001)というブロンズ彫刻がある。
像の男はギョロリとした目を向いていて、節くれだった大きな手が、太い筆を握っている。明らかに北川である。
《バッタ》(1970)
フォト


リノカット(リノリウム板の版画)による連作《瀬戸十景》(1937)が素晴らしい。
これはその中の〈窯小屋〉。窯が生き物のように熱を持っている、その様がモノクロでありありと描き出されている。
フォト


(続く)
 
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