日曜日に愛知県美術館で開催されている「片岡球子展」を見に行った。
まさに、眼福。
奇矯な図柄や色使いに目を見張る。
作品のキャプションを読んでいたら、同じフレーズが数回出てきた。
曰く、「彼女には、このように見えていたのだ」
例えば、私のようなボンクラの目には海の波といったら、縦方向に飛び散る東映マークしか思い浮かべない。
しかし、片岡球子の目を通したら、波は円に見えているのだ。
彼女が見た富士山は、北斎と同様に異様だ。
芸術家の目というのは凄い、とうてい太刀打ちできない領域であることが分かった。
絵画の世界でハイパー・リアリズムというのがある。
実物と寸分たがわない、写真のような絵画のことだ。
何かで読んだが、ハイパー・リアリズムの画家たちの目は、常人とは違っているらしい。
片岡球子のような自由奔放な目があれば、ハイパー・リアリズムの画家たちのような稠密な目もある。
今日、友人から写真家セバスチャン・サルガドのドキュメンタリー映画の紹介を受けた。
監督はヴィム・ベンダースだ。
http://salgado-movie.com/
正直、セバスチャン・サルガドといってもどんな人なのかよく分からなかった。
しかし、見る者に強い印象を与える彼の写真の、1枚や2枚は見たことがあった。
きっと、その1枚や2枚の写真の背景には、幾多のボツになったショットがあるのだろう。
それでも、作為なしで現実社会に現れた見る者に“神話”を想起させる一瞬に、ピントを合わせることが出来たのは、奇跡だ。
彼は「神の眼を持った写真家」と呼ばれている。
目について思いを巡らせた1日だった。
とにかく、目は大事にしよう。
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