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2015年04月28日22:07

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今日のちょっと物思い

今日のちょっと物思い

キリスト教の場合でも神が研究の対象になっている間は、神は人格的存在ではなく、眺められる対象にとどまっています。ところが、その神が、人に向かって語りかけて来られると、その神を最早眺めるとか、観察するとか、研究することが出来なくなって、人格的に応答する態度に変わります。つまり神が三人称のheから、二人称のyouに変るわけです。そのときから私たちは信仰するという態度に入るわけです。研究の態度から信仰の態度に変わること、神が三人称から二人称に変ることと呼応することになると思います。そのときに出てくるのが、私たちの祈りという態度です。祈りは、眺めたり、思索したりしている場合には不可能であって、神の語りかけに対してこちらがまた語りかける態度なのです。

(北森嘉蔵「佐古純一郎編『キリスト教問答』」から)
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