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2015年02月24日22:58

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演劇『木の上の軍隊』/栗山民也

1/5、NHK-BSの〈プレミアムステージ〉で、劇団こまつ座公演『木の上の軍隊』の収録が放映された。
2013年5/4、天王洲銀河劇場における藤原竜也と山西惇の2人芝居である。
録画してあったものをようやく観る事ができた。

これは、2010年に亡くなった井上ひさしが、遂に完成させる事ができなかった戯曲だ。
彼の部分的遺稿と構想メモを使って、蓬莱竜太が書き上げた。
演出は栗山民也。

2人芝居と書いたが、正確には、片平なぎさが語り手として舞台上にずっと出ている。
そして、音楽は、ヴィオラ奏者の徳高真奈美が、これも通して舞台の上で演奏する。
徳高は演技はないが、片平の語りは、かなり演技に近いものだ。
この芝居は太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台にしたもので、片平は沖縄の民族衣装を着て舞台上を動き回る。
場の状況や、登場人物2人の心理を説明したり、声で効果音を出したりもする。

沖縄は、誰も知る通り元は琉球王国である。1429〜1879年の間王国は存在したが、1609年の薩摩藩の侵攻以来、従属的な地位に入った。文化的にも倭風を強いられた歴史を持っている。
そして、太平洋戦争では、米軍の本土上陸を食い止める、というより時間稼ぎをする為に、兵士以外の島民が抗米戦に刈り出された。
たいした武器も与えられず、結局、集団自決に追い込まれた人達もたくさんいた。
投降しようとした島民達を日本軍の兵隊が殺害したりリンチを加えたりする事件は頻発した。
沖縄の人達は、米軍と日本軍両方から被害を受けたのである。

こうした史実を知る井上ひさしは、何とか沖縄を舞台に書きたいと早い時期から考えていた、が、果たせずに終った。
この芝居は、終戦後70年になる現代に、沖縄戦の実態と、戦争の無意味さを語り継ぐものである。

藤原竜也と山西惇は共に日本軍兵士だが、沖縄島出身の新兵と、本土から派兵された上官という設定である。
2人の役が、沖縄戦時の島民と日本軍兵士の関係を象徴している。
米軍の沖縄上陸時、2人はがじゅまるの大木の上に逃げ込んで隠れた。
その周囲では多くの兵士が死んだ。その中には、新兵の島の友人もいたし、彼等が殺した米兵もいた。

木の上に潜み終戦を知らずに2年生き延びた兵士がいたというのは、実際にあった話である。
実話が何処迄で脚色が何処からかは判らないが、2人は、米軍のキャンプが基地となり次第に大きくなっていくのを、日々双眼鏡で監視し続けた。
いつか援軍が来る事を信じ(上辺だけの事かもしれないが)、上官は新兵を叱咤し、銃のメンテナンスをさせた。

しかし、まずは、米軍との戦いより、飢えが生死最大の問題である。
米軍基地が大きくなると、彼等の棄てたゴミの中の残飯が彼等の飢えを凌ぐ術となる。これも辛辣な作者の皮肉だ。
上官は木の上で太りさえする。銃は錆び付き動かなくなる。
それでも、軍の上官と部下の立場は表面的には維持される。
2人はいつ迄たっても互いを理解し合えない。

ラスト間際、戦争がとっくに終わっていた事を知った2人の心に去来するものは何か。
上官は叫ぶ、・・・何の為に俺はここで米軍の残飯を漁って生き延びてきたのか。どんな面を下げて人前に出たらいいのか。


原案 井上ひさし
作 蓬莱竜太
演出 栗山民也
音楽 久米大作
美術 松井るみ
照明 小笠原純

出演
新兵 藤原竜也
上官 山西惇
語る女 片平なぎさ
ヴィオラ演奏 徳高真奈美

2013年5/4、天王洲銀河劇場公演のライヴ収録


観終わった後、つい頭にちらついてしまったのはAB首相の顔である。
県知事が仲井間弘から翁長雄志に代わってから、政府首脳は1度も面会要求に応えていない。沖縄復興予算も減らした。
全く見事な迄の露骨な仕打ちである。
公人が採る態度ではあるまい。
沖縄の歴史を考えたら、今の政府要人等はきっと地獄に落ちるに違いない。
 
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