東京駅が大騒ぎだった頃、おそらく珍しい電気機関車を撮影するために我が街・新川崎駅で一眼レフカメラを構える多くの鉄道ファンたち。
いわゆる“白線の外側”に飛び出してEF64を追っかけていたのは少々危なかしかったが、新川崎駅周辺が貨物列車たちのメッカ(自称)であることは、なにやら嬉しい。
東京駅にわんさか集まった人たちの何割が純粋な鉄道マニアなんだろう。
少なくない割合で、転売目的のお宝suikaを求めてやってきた輩もいるだろう。
yahooオークションでは、そんな輩をぶっ潰すためのいたずら入札まつりが開催中。
東京駅100周年記念suica、ただいま99億円
これはJR東日本の大失敗。
なぜ、通信販売や整理券販売にしないのか。
多くの人が欲しいなら15,000枚などとプレミアム感を出す必要は一つもない。
切っ掛けも、要因もJR東日本の責任。
東京駅で騒いだ人々の気持ちが理解できる一方で、今日のニュースやワイドショーでは、まるで中国人たちが大阪の街で起こしたi-phone買い占め・横入り騒動みたいな映像のように流されて、日本人の矜持を傷つけられた悲しさを感じてしまう。
それでも、我慢のできる日本人たち。誰も傷つけることなく、冷静に収束したようだ。日本人に暴動やデモは似合わないからね。
昨夜の飲み会では見事な政治談議が交わされた。
これも日本ではタブーのように控えられていること。
居酒屋でもカラオケ屋でもボウリング場でも、若い人たちが集まるそこかしこで、政治談議がタブーになっているものだから、20歳代の投票率はわずか38%
これでは、たとえ安倍ちゃんが「9条変えちゃうもんね」とか、「自衛隊の人には海外行って悪い人と戦ってもらいまちゅ。日本国内では鉄砲撃てないから

」と、右へ右へと行ったとしても、20代の62%は無関心。ゆでガエルの如く、特攻隊に参加してしまうことになる。
嗚呼。
居酒屋では“デモ”に対しての議論も闘わすことができた。
持論だが、デモの印象が悪いのは連合赤軍の誕生からだと思っている。
60年代、70年代安保闘争の頃、若者は熱かった。松岡修造よりも熱かったはずだ。
もろちん、おいらがその当時に学生であったとしてもノンポリ・軟派であっただろうから、駿河台のアスファルトは剥がさない。
しかし、あの熱さには共感を覚えてしまう。
ところが、そこに鬼っ子のように生まれ育った過激派の連中。彼らが、学生運動の必要悪をぶっ潰してしまったのだ。その後に育ったおいらの無関心ぶりが、全てを象徴しているもんね
もう一つはノンバーバルコミニュケーションが起こすギャップ。
例えば、個人情報保護法案に対して様々な異論は全くその通りだと思うが、これに対してのデモ行進を眺めていると、なにやら冷めてしまう自分が居る。
バーバルコミニュケーション(言語的)であれば、多くの伝えたいことを正しく伝えることが出来るのに、ノンバーバルコミニュケーション(非言語的)においては、相手に伝わる情報は、《視覚情報》「見た目・身だしなみ・しぐさ・表情・視線」が55%、《聴覚情報》「声の質(高低)・速さ・大きさ・テンポ」が38%を占め、《言語情報》「話す言葉そのものの意味」は7%しか伝わらないと頭のいい人が調べている。
デモ行進を思い浮かべてみよう。
目に入ってくる情報は、なにやら迷惑な団体でしかなく、耳に入ってくる情報は、ただただうるさいだけしかない。通行人には、情報のうちの93%が『嫌気』。
いくら正しいことをコールしていたとしても、話す言葉そのものの意味なんて100のうち7しか聞こえてきてはいないのだ。
これでは、デモ行進そのものが意味がない。
意味がないことはないが、無関心層に訴えられてはいない。
沖縄の基地問題や、山口県祝島の原発問題、そして3.11の被災地。
ここから入ってくるデモや座り込みのシーンは、多くの国民に受け入れられる。
それは《視覚情報》《聴覚情報》が正しく伝わるからであって、住み心地の良い東京でのデモ行進は、多くの場合受け入れられることはないだろう。
どうすればいいのか。
旧態然としたデモを抜本改革して、視覚・聴覚に耐えるアピール方法を確立させることが必要だろう。是非、大学ゼミで検討していただきたい。
そんな話を居酒屋で、4時間30分。いいなぁ
おまけ。
32年前のアナログ写真。高校3年生、遠足帰りの校庭にて。
アナログ写真をこうしてデジタルアルバムにしておくことが流行っているそうだ。
なるほど、コンビニエンス。
ガラケーもスマホもない頃の、貴重なシャッターチャンス。
18歳のクラスメイトたち。

販売中止限定Suicaは後日販売、JR東日本が東京駅の大混乱をお詫び。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=3194813
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