10/2(木)18:30〜、静岡文芸大(SUAC)講堂において、三島由紀夫「近代能楽集」より『綾の鼓』の公演があった。
これは、文芸大教授の梅若猶彦の企画・発案で、文芸大と静岡県舞台芸術センター(SPAC)の連携事業として行われ、双方のメンバーが協力して実現させた。
梅若猶彦は観世流の能楽師で、SUACでは演劇史,芸術表現等の教鞭を取っている。
SUACでは、毎秋薪能をやっているが、彼は同プロジェクトの代表でもある。
今年も10/9に同校内で行われ(演目『海士』)、これがもう第14回目となる。
薪能プロジェクトの活動の一環として今回この連携公演『綾の鼓』は位置付けられた。
演出は、SPAC芸術監督の宮城聰である。
演者は、SPACから7人、SUACから公募で選ばれた学生2人が加わった。
スタッフとしては、SPACから宮城以外に13人、SUACからは、薪能プロジェクトメンバーが運営,宣伝,美術,撮影として7人、他に、文芸大クラブ「音響照明技術研究書 p@tch code」メンバー7人が協力した。
舞台監督 村松厚志
照明 樋口正幸他
衣裳 駒井友美子他
小道具製作 深沢襟他
出演
岩吉 渡辺敬彦(M)/吉見亮(S)
華子 大高浩一(M)/石井萌水(S)
マダム 桜内結う
加代子 星万莉子
女店員 山浦一紗
他
出演者名の後の(M)はムーバー、(S)はスピーカーである。
ここがこの劇のミソであり、また難しいところだ。
主人公の恋する老人、法律事務所小間使いの岩吉役は、ムーバー(動き手)とスピーカー(語り手)の2人の協力によって演じられる。つまり2人1役である。
岩吉に想いを寄せられる華子役も同様。
ただ、全員がそれと同じくというのではなく、法律事務所事務員 加代子と洋裁店女店員は、1人で動作もセリフもこなす。1人1役。この2人がSUACからの公募学生。
また、洋裁店のマダムは、左右両手で人形(華子の取り巻き 金子と藤間) を扱い、3役の動きをこなす。
この3連の人物の中で、マダム役は動きも語りも自身、そして、金子と藤間役の人形はマダムが動かすけれども、声は別々のスピーカーが担う。
こんなふうに、役によって、動作とセリフを演者が様々に分担したり、分担しなかったりで、これは、観ていてどうにも落ち着かず集中できなかった。観客の意識をフォーカスするという意味では、成功しなかったろう。
ムーバーは仮面を付け舞台上を自由に動き、スピーカーは暗い舞台後方の台上に座っている。一種の仮面劇でもあって、能や人形劇のイメージを醸し出しもするが、能では、セリフは仮面を付けたシテ,ワキが発し、地の文は、地謡が歌い物語を進行させる。ムーヴァーとスピーカーというような分離とは違う。
宮城聰は能と人形劇を融合するような舞台を狙ったのかもしれない。
原作は、恋の擦れ違い(または成就しない恋)をテーマとして、微妙でセンシティヴな想像世界を作り出すが、その為には緊張と集中が必要とされる。
その点、今公演では登場人物のイメージが1つにかたどられず、散漫なままで終り、表現手法のトライアルという次元に留まったというよりない。
夢(妄想)と現実は決して合体しない、それが「成就しない恋」の底意である。
それを男と女の本質と換言してももいいだろう。岩吉は最後迄鳴らぬ音(美ないしは哲学)に執着するのに対し、華子の内奥には凌辱願望が渦巻いている。
「綾の鼓」とは、実現しないもののメタファーでもある。
ただ、三島にはニヒリズムだけでなくロマンティシズムがどうしようもなく絡み付いている。
中世を現代に復古させたいという三島のロマンティシズムがこの「近代能楽集」に結実したのだ。
しかし、いくら切なく希求しても、それは現実や社会には受け容れられない。
その苦悩から、三島は死を選ぶしかないところ迄行き着いてしまったのだとも考えられる。
「綾の鼓」を必死に鳴らそうとする滑稽な迄の岩吉は、三島でもある。
こんなセンシティヴィティを描き出すのは、容易ではない。
稽古時間は僅か10日間のみだったとの事。
更に鍛えれば集中が得られたかどうか、それは判らない。
公演時間は約45分。
入場無料。
写真1 舞台風景。中央に岩吉、後ろに加代子。奥の台上にスピーカーが座る。
写真2 中日新聞10/1朝刊記事。
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