愛知県下の展覧会で観たいものが重なり、10/10(水)、その2つに行ってきた。
1つはメナード美術館の舟越桂展、もう1つは、三岸節子記念美術館の丸木俊展である。
当初は後者の情報を得ずにいた為、前者だけを観るべく9月に計画を立てていたのだが、三岸美術館の企画を偶然に知り、これは2つまとめて行かなければと、スケジュールを後ろ倒しにした次第だ。
前者の会期は9/15〜11/25、後者は10/6〜11/25である。
今日はまず、舟越桂展について書きたいと思う。
メナード美術館は愛知県小牧市にあって、私は浜松からJRと名鉄を乗り継いで名古屋に出、名鉄バスで美術館迄行った。
8:50浜松発のJRに乗り、美術館着が12:00少し前だった。
展覧会の正式タイトルは、「舟越桂2012 永遠をみるひと」。
更に、「開館25周年記念展」と付け加えられている。
舟越桂の個展は中部地方では初めてだそうだ。
個別作品の鑑賞は措き、個展レベルでは、私は2008年7月に東京都庭園美術館で「舟越桂 夏の邸宅」展を観ている。
(参)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=885707616&owner_id=3341406&org_id=884406938
庭園美術館の内装と相俟って素晴らしいものだったが、今回は私として2度目の個展鑑賞になる。
舟越桂の木彫第1作は、今回来ている『妻の肖像』(1979〜80/ →写真1)である。
それから、ひたすら楠の木彫を続け、30年強で142点の木彫作品を世に送り出している。
今展では、舟越のその142番目の最新作が展示されている。
「彫りおろし」という言葉があれば、それに当るだろう。
庭園美術館の展示が19体、今回は23体である。但し、内9点は両展に重なっている。
他に、ドローイング(28点)、版画(4点)、童話『ピノッキオ』の為の原画(23点)、自分の子供の為のおもちゃ(13点)等が並べられている。全91点。
彼は木彫作品を作る時、必ず事前にドローイングをしっかり描き込む。
ドローイングと最終木彫作品との間には微妙な違いもあるが、今回は、木彫作品の近くにドローイングも展示され、舟越の制作意図や視線の動き等も理解できてありがたい展示手法だった。
展示室は、ミニギャラリーも数に入れると6つある。
展示室1には、舟越の3点の「スフィンクス」シリーズ(2005〜06)が展示されており、隣接して、常設のマリノ・マリーニの『馬と旗手(街の守護神)』がある。
展示室2は、前掲の『妻の肖像』から2000年迄の比較的初期の木彫作品とドローイングが並べられている。ここには、同館所蔵の『長い休止符』(1993/ →写真2)もある。
展示室3は、おもちゃと『ピノッキオ』関連。
ミニギャラリーに、彫りおろしの最新作『月の降る森』(2012/ →写真3)とドローイング。
展示室4には、時間的にはやや前後があるが、「異形」の作品達(1996〜2009)、そしてそのドローイング。
廊下奥に『水のソナタ』の原型(1998)。
舟越作品はこれで全てだが、それ以外に、実はもう1室あって、それが展示室5である。
ここには、メナード美術館の所蔵品約1,400点の中から、舟越が選んだ名作が17点展示されている。
マネの『黒い帽子のマルタン夫人』(1881)から、マティスの『ヴェールをかぶった女』(1942)迄、そして父保武の『N嬢』(1975)。何れもデッサンのしっかりした作品で、殆どが人物を描いたもの。
これらには、桂の選択理由の言葉がキャプションに印字されている。
舟越桂の制作志向(嗜好)と、上の選択の間には、ある共通点がある。
まず、人間に対する興味。舟越の木彫作品は全て人物像(異形の者はあるにしても)であって、それ以外はない。
次に、上でも書いた通り、デッサンの重視。
ピカソの『オルガ・ピカソの像』(1918)も、極めてデッサンがしっかりしていて、対象の把握力と造形力が卓抜している。
名作選からは離れるが、続けて、舟越桂の作品特性を並べると、以下のような要素がピックアップできる。(門田彩『境界線上のゆらぎ〜《長い休止符》をめぐって』による)
・材料は楠に限定。
・着色木彫(『妻の肖像』以外)。
・大理石の眼(同上)。
・彫られた人間はほぼ等身サイズ。
・腰から上の上半身像(全142点の内、全身像は1980〜96年の間の6点のみ)。
・手首から先がないものが多い(腰から上の半身像である為そうなる)、但し、あり得ぬ別の場所に手が取り付けられている例は多数(1991年の『水の上の振り子』以降)。
物理的でない点も挙げるなら、
・静けさ、内省的性格
・詩的タイトル
・何処を視ているのかわからないまなざし
これらを繋ぐものが何か、それが舟越の本質と言うべきものだろうが、その答えを出すのはいささか早過ぎるように思うので、ここでは要素を掲げるに留めておきたい。
ただ、最後の「視線」に関連して、本人の言葉があるので、それを引用しておく。
スフィンクス神話を読んで感じた事、として、『言葉の降る森』(角川書店1998年発行)に・・・、
「彼らの目は内側を向いているのかもしれない。自分自身を見つめているのかもしれないと。遠く遠く限りなく遠くにあり、つかもうとしてもなかなかつかみきれないもの、それは自分なのかもしれないと思う。」
今展のサブタイトル「永遠をみるひと」は、この瞑想の延長線上にあるに違いない。
舟越桂の諸々の作品は、どれも詩を読むように観なければならない。
丸木俊展については、明日にでも。
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