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2011年02月14日23:57

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T・アルフレッドソン 映画『ぼくのエリ、200歳の少女』

昨年、ピックアップしながら結局観る事ができなかった映画『ぼくのエリ、200歳の少女』を、レンタルDVDで観る。

怖ろしく、しかし詩的で、そして何と感傷的な映画だろうか。
生きていて、これしか選択の余地がない、としたら、人に残されるのは感傷だけかもしれない。

雪の夜、いじめられっ子オスカーの住むストックホルム郊外のアパートに、1台の車が着く。降りてきたのは、老境に入りつつある男と、少女。後からエリという名だと判る。12歳。何ともか細い身体。
ラストに到って判るが、この男は、将来のオスカーである。
不老のヴァンパイアを愛した男。エリは、永年12歳のままだが、男は老いていく。それが宿命の2人であって、男が自らの血を愛の証にエリに与えて死んだ後、彼の役をオスカーは務めるのである。
最後、旅に出る列車の中のシーンは、その逃避行を示唆する。若いオスカーには、まだ宿命の哀しさは理解できない。コンパートメントには明るい光が射し、箱の中にはエリがいる。

両親が離婚しオスカーは母に育てられている事、彼がクラスでいじめられっ子である事、等は、ファンタジーにリアリティを与える為の外殻であって、大した意味はない。
外の殻より、それに覆われた生身の人間に思いを巡らす事が大事だ。

人は人と終に交われない。人と人の間に兆すコミュニケーションが幻想に過ぎない事を、人はいつ識るだろうか。それは彼の能力次第である。
人は最後迄孤独だ。愛しても、魂は孤独だ。
そして、孤独の厚い外殻を通して滲み渡ってくるのは、痛みだけである。
痛みだけは、人と人を貫き通す事ができる。
オスカーとエリの間に介在する”血”は、無論痛みの象徴である。

オスカーとエリの関係は、したがって、ある理想である、到達されない理想である。
ヴァンパイア伝説は、孤独な人間の、哀れな感傷の産物とも言える。
私達は、誰もヴァンパイアになりたくてなれない。
人と人は最後迄交わる事はできない。

映画の音楽の何と感傷に満ちている事か。
それは致し方ない。


監督・編集 トーマス・アルフレッドソン
原作・脚本 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
撮影 ホイット・ヴァン・ホイットマ
編集 ディノ・ヨンサーテル(共同)
美術 エヴァ・ノーレン
音楽 ヨハン・セーデルクヴィスト

出演 カーレ・ヘーデブラント,リーナ・レアンデション他

受賞 スウェーデン・アカデミー賞最優秀監督賞/撮影賞/脚本賞/美術賞/音楽賞 他多数

2008年/スウェーデン
 
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