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2010年11月20日00:07

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聴講<音楽史��>�┘轡紂璽戰襯箸離團▲硫山�

まず、先回2010年11/19の復習。

大括りな音楽史では、従来、古典派とロマン派は分けずにきた、つまり”古典派とロマン派の音楽”というようなまとめた括り方である。
調性や様式上では、その2者は同じペースの上に乗っており、明確に分離する事は難しい。
表面に現れる部分での両者の違いは、楽器の種類と数の増、と、音の重ね方の多様化による色彩感の増、こういったところだけである。

ロマン主義以前の音楽は、ルネサンス,パロック,古典、共にイタリアから起こったが、唯一、ロマン派のみ、ドイツが主導した。

先行する文学のジャンルでは、
1774年 ゲーテ『若きウェルテルの悩み』発表
1776年 マキシミリアン・クリンガー『シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒涛』

・・・この作品名を取り、新たなムーヴメントを「シュトルム・ウント・ドランク」と呼んだ。古典主義の理性重視に対し、感情の優越を主張し、ロマン主義の考え方の中核となった。

音楽では、ベートーヴェンがゲーテ原作(1787)の戯曲に付けた”劇付随音楽”『エグモント』(1809〜10作曲)等に例を見る。・・・序曲と9つの場の音楽。

また、リートにロマン主義文学との結実を見る。敢えてドイツ・リートと呼ぶが、その中でシューベルトの果たした役割は大きい。事にクラヴィア・リートにおいて。
参、11/7第7回聴講http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1618587703&owner_id=3341406


さて、今回のテーマに移る。
講師は、同じ平野昭教授。
19世紀ロマン派音楽の、リートと伴に大きな所産は、ピアノ音楽の発展である。特にピアノ小品に特徴がある。

character piece(性格小品)という呼び方があるが、これはピアノ・ソナタに対する対抗概念だと思えば良い。
ピアノ・ソナタはベートーヴェンが完成させ、結果的に、極大化し、難曲化し、サロンから出ていく(サロン音楽とは言えなくなる)。
こうして、ベートーヴェン以降のピアノ作曲家は、ソナタ以外に活路を見出そうとする。

その過渡的例に、シューベルトのimpromptus(即興曲)がある。
彼には「4つの即興曲」と呼ばれるものが2組ある。D.899(op.90)とD.935(op.142)である。前者は1827年、後者は1828年に作曲された。

D.899(op.90)
第1曲 ハ短調(♭×3)
第2曲 変ホ長調(♭×3)・・・(*1)
第3曲 変ト長調(♭×6)
第4曲 変イ長調(♭×4)・・・(*2)

D.935(op.142)
第1曲 ヘ短調(♭×4)
第2曲 変イ長調(♭×4)
第3曲 変ロ長調(♭×2)
第4曲 ヘ短調(♭×4)

(*1)
主調の変ホ長調(♭×3)の後にロ短調(♯×2)が続く。増5度の関係は、最も遠隔調で、古典派理論では1番やってはいけない転調である。
増5度(es→上h)は減4度(es→下h)とニアイコール。減4度(es→下h)はエンハーモニック関係で、長3度(des→下h)でもある。

(*2)
変イ長調なのに最初から10小節程の間、ずっとcに♭が付いてくる。実質変イ短調とも言える。

シューベルトの音楽には、(*1) (*2)他、調の定まらない感が伴いつつ展開していく不思議な特徴がある。

両曲とも、実は1曲ソナタの4楽章と見る見方もある。(平野昭説)
D.935(op.142)の方は、ヘ短調に始まりヘ短調で終わるから、特にその傾向が強く感じられる。
第1曲=新しいソナタ形式による第1楽章
第2曲=緩徐の第2楽章
第3曲=変奏曲形式の第3楽章
第4曲=ハンガリー舞曲風の第4楽章
・・・とも考えられるだろう。

<付記>
・第3曲の変奏曲の主題は、劇付随音楽『キプロスの女王ロザムンデ』(D.717/op.26)の第3間奏曲から。
シューベルトはこのテーマが好きだったとみえて、弦楽四重奏曲イ短調第13番(D.804/op.29)でも使用している。この四重奏曲も『ロザムンデ』という愛称を持つ。

・こうした、流用の例は、他にもある。
歌曲『死と乙女』(D.531)→弦楽四重奏曲ニ短調第14番(D.816)
歌曲『鱒』(D.550)→ピアノ五重奏曲イ長調(D.667/op.114)
・・・5楽章編成の第4楽章で『鱒』の主題による変奏曲を展開。

・通常ピアノ5重奏というと、ピアノ+弦楽四重奏(vn×2,va,vc)だが、シューベルトは、vn,va,vc,cb各1とした。コントラバスが入る事で、ピアノに拮抗し、オーケストラ的響きが得られると考えたのだろう。

・シューベルトは、ハイドンの務めたエステルハージ伯爵家令嬢のピアノ教授をした事がある。D.935(op.142)の第4曲がハンガリー風の舞曲をイメージさせるのは、そんな脈絡があるだろう。『楽興の時』(D.780)の中にも似たハンガリー風がある。


元に戻るが、シューベルトは4つの即興曲でなく、4楽章のソナタとして考えた可能性があるけれども、では、何故、今見られる「4つの即興曲」の形になってしまったのか?
それは、出版社の販売戦略かもしれない。
前述したように、ソナタはベートーヴェンでやりつくした感がある。客が期待しているのは、サロン,家庭で弾ける小曲である。では、4曲集(「4つの即興曲」)としても出すが、各楽章をそれぞれ独立したピースとしても出版して、よりたくさん売ろう、と。
確かにこの戦略はヒットした。

D.899(op.90)の方は、第4曲で第1曲のハ短調に戻らないから、こうした考え方は採りにくいという見方もあるが、シューベルトの音楽は、元々、同一楽章の中でも主調に戻らなかったり、調そのものが不安定なものが多い。
どだい、シューベルトは、モーツァルトやベートーヴェンと違って、まともに作曲の師について勉強をしていない。
そんな事もあって、こちらでも、シューベルトが4楽章のソナタを志向したという想定は捨て難いのである。


シューベルトは、有名な交響曲第7番ロ短調に限らず、未完成曲が大変多いのも特徴である。
オペラでは、18曲中、完成したのは8曲のみ。
楽想が次から次へ脳裏に現れて、後でまとめようと傍らに置いておくと、忘れてしまうという事が繰り返されたのだろう。
 
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