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2010年09月24日23:38

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オペレッタ『ほほえみの国』(レハール)

フランツ・レハール(1870-1948)作曲のオペレッタ『ほほえみの国』(ハイライト)のCDを聴く。
CDであるからして、勿論音楽だけだ。

指揮 ウォルフガング・エーベルト
演奏 シュトゥットガルト放送管弦楽団
出演
スー・チョン王子 ルネ・コロ(t)
リーザ ビルギット・ピッチ=サラタ(s)
グスタフ ハインツ・ツェドニク(br)
ミー ダグマル・コラー(s)

レハールというと『メリー・ウィドウ』(1905初演)が群を抜いて知られている。これはその次位に位置するらしいけれども、私は初めて聴いた。
初演は1929年で、『メリー・ウィドウ』から大分時間が立っている。
この間には第1次世界大戦が横たわっている。
オペレッタの中心は、ウィーンから、これを挟んでベルリンに移った。
第1次大戦前と後ろ、レハールの活躍した時代は、オペレッタ「銀(または白銀)の時代」と呼ばれる。
「金の時代」は、と言うと、これはヨハン・シュトラウス2世が『こうもり』を作った1874年から世紀末迄を指す。

台本はルートヴィヒ・ヘルツァーとフレッツ・レーナ―=ベーダ。
オペレッタも、楽天的なコメディー一辺倒でなく、第1次大戦後は多少シリアスなものや悲劇的なものも世に出ている。
この『ほほえみの国』も、国,民族の間に横たわる文化の違いが、主人公の男女に別れをもたらしている。ハッピーエンドではない。

しかし、音楽は、あくまでレハールのそれで、甘く美しいメロディーに覆われている。同じ台本でも、違う人がもっと後代に作曲したなら、ずっと深刻なものも絶望的なものもできただろうが、それは想像するだけの事だ。

中国の外交官スー・チョンに恋した貴族の娘リーザ、相手も自分を愛していると判る。その彼が自国で首相に任命され中国に戻るにつけ、リーザも一緒についていく。
しかし、中国に戻れば、スー・チョンはそのしきたりに従わねばならない。妻は4人持つ。
彼は単なる形式だと言うが、前もって知らされていなかったリーザは裏切られたと思いヨーロッパに帰ろうとする。
彼は彼女を説得しようとするが叶わず、後宮に軟禁するハメに。
リーザは近しい理解者の助けを借り脱出する。助けてくれたのは、スー・チョンの実の妹ミーである。スー・チョンは、愛するリーザの気持ちを理解し、大使館付きのグスタフに、国へしっかり送り届けてもらうよう依頼する。
リーザを見送ったスー・チョンは、ミーに向かって歌う、「苦痛がお前を苛んでも、悲しんではいけない。私の顔を見てごらん、泣いてはいないだろう。苦しくても悲しくても、いつもほほえむだけ」。
この国では、感情は表に出さず、内にしまって耐えるのだ、と、タイトルの「ほほえみの国」の意味がここで判る。

それでも、前に書いたように、レハールの音楽は甘く美しい。

センチメンタルを脇に置いて冷淡に言えば、ここで描かれているものの背景にある実態は、当時のヨーロッパでのオリエンタリズムの流行でしかない。
『蝶々夫人』でも同じだが、当時のヨーロッパ人には中国人でも日本人でも東南アジア人でも何でもいいのだ。20世紀の中国人は4人の妻等持ちはしない。ここにはイスラム教国との混同さえある。
ヨーロッパの舞台では、彼等のエキゾチズムを満足させればそれで充分なのだ。
まあそうした程度の理解の許で、物語が悲劇だからといって、深刻な音楽や絶望的な音楽等生まれよう筈もない。

そうした、軽薄さがレハールのオペレッタにはあるが、しかし、それを言っても始まらない。それは時代の気分なのであって、レハール1人の所為にする訳にもいきはしない。
ただひたすら、甘く美しいメロディーに酔うのみ。
ルネ・コロの高域に伸びる声は、透明で何とも美しい。


この写真はホラー映画から持ってきたのではない、ウィーン市立公演のレハール像である。(笑)
 
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