5/2(土)朝、錦糸町からJRで上野へ。
新宿(損保JP)でも渋谷(Bunkamura)でもなく、外苑前(ワタリウム)でも目黒(G・やさしい予感)でもなく、とにかく駅は上野、と、まあそこ迄は、昨晩、会社時代の友人と遅く迄飲んだ後、ホテルの小さなバスタブの湯に浸かりながら決めていた。
駅を降り、公園の人混みを歩きながら、まだ迷っていた、芸大美術館に行くか、都美術館にするか。
芸美も都美も、路は同じだ。
前者は、「尼門跡寺院の世界」という極めて特徴的な展覧会をやっている。併せて「芸大コレクション展」も内容が豊富だ。my mixi みちこさん,あちゃこさんの高評価もあり、魅力がある。
後者は、「日本の美術館 名品展」をやっている。企画としてみたら、間違いなく前者の勝ちだ。「名品展」はどうせ総花的なものになるに決まっている。
でも、と、迷うのは、この中に、甲斐庄楠音と速水御舟の絵があるのだ。全部で3枚だけだが、それに絞り込んでも、心が動く。
そして、もう1つ要素が加わった。この企画展に絡め、都美の講堂で、記念映画会をやっている。映画のそれぞれの主人公は、ポロック、クリムト、そしてフランシス・ベイコン。3本も観る時間はない。『クリムト』は一昨年既に観ている。一番食指が動かされるのがベイコンだが、その上映が当日11:00からある。時間的にも良い。
そんなこんなで、結局、私は都美術館の入口への階段を降りて行った。
入館10:00。映画上映の講堂は、開場10:30。開場時間に並ばずともよかろう、と、1時間弱を「名品展」の全体構造把握に費やす事にし、90分の映画の後、再入場させてもらって、14:30迄、これと思う個別作品をゆっくり観るべくスケジュールを定めた。
今日の日記では、まず「日本の美術館 名品展」についてのみ記す。
日本全国には現在124の公立美術館がある由。これらが協力し活動を活性化させる為、美術館連絡協議会が1982年に創設された(当初は35館でスタート)。その美連協の25周年記念事業として、今回の展覧会の企画となった。
総点数220、内訳は、西洋画50、日本近現代洋画70、日本画50、版画・彫刻50、何れも各美術館の代名詞となっているものの選りすぐりである。前後期で展示替えを行い、前期の今としては180点を観る事ができた。
素晴らしい作品ばかりだが、展覧会としては、日本の公立美術館所蔵という事以外に貫き通すテーマやポイントはなく、教養主義的且つ総花的傾向は避けられない。各個人がそれぞれのテーマをもって行くのが良いだろうと思う。
私としては、今観たい近代日本画家と言えば、何を措いても甲斐庄楠音と速水御舟という事になる。
甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)は1894年(明治27)京都生まれ、1978年(昭和53)没。
女を描く事が多かったが、日本画伝統の美人とは全く異質で、権威の筋からは嫌われ、「きたない絵」等との評価も受けた。
1940年、映画監督溝口健二と知り合い、彼の映画作品の時代風俗考証の担当を始める。そのコンビによる代表作があの『雨月物語』で、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を獲得した。
今展に来ているのは『横櫛』1作のみ。
同題の作品は知る限り4作ある。何れも芸妓の立ち姿を描いたもの。
1916年 (大正5)頃 に1作,1918年(大正7)に2作、内1つは『横櫛胸像』と呼ばれる半身像、そして、最後は1962年(昭和37)作である。これは、1918年作品を、自ら描き直したもの。背景の屏風に描かれた毒婦”切られのお富”の図を消し、文字の入った短冊に置き換えた。
今回観れるのは、広島県立美術館所蔵のこの最後の作品だと思われるが、出品リストを見ると、1918年作となっている。これは表記方法に問題があるのではないか。
岩井志麻子著、山本周五郎賞受賞の小説『ぼっけえ、きょうてえ』(角川書店)の表紙となったのは、上の内の最初の絵である。死相が現れたかのように、顔色が一番悪いもの。京都国立近代美術館蔵。(参→
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=677960294&owner_id=3341406)
もともとこの『横櫛』なるタイトルは、河竹黙阿弥作の狂言『処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』から来ている。
楠音21歳の折、東京から長兄が帰ってきた。兄嫁等と伴にこの芝居を観たが、その数ヶ月後兄嫁が死ぬ。翌年、楠音は彼女をイメージしてこの絵を描き上げた。したがって、顔色が悪いのも尤もである。
同題第2作の経緯は、・・・彼が23歳の時、自分のアトリエに出入りする友人の妹と親しくなり、婚約する。が、彼女は楠音を捨て、他の男と結婚してしまう。恨みに思った楠音は、兄嫁の顔を彼女にすげ替え、背景に”切られのお富”を加えて復讐しようとした。
この出奔事件の原因としては、男が無理に強いたという説と、楠音がホモセクシャルだったという説と2つがある。真実はもう判りようがないが、楠音はその後一生独身を貫いた。
写真は、『横櫛』3態。左から制作年の古い順に。
真ん中の作品を後年書き直したのが一番右の作品であるから、真ん中の作品は写真のみで現存しない。
速水御舟(はやみ ぎょしゅう)の方は、2作来ている。
『女二題 其一』と『其二』という連作である。
1931年、御舟37歳の作品で、現在は福島県立美術館所蔵。
御舟の生年は1894年(明治27)で、奇しくも甲斐庄と同年。
1920年(大正9)、26歳の時に描いた『京の舞妓』は、日本画として従来にない極端な細密画法が賛否両論を招き、横山大観等からは酷評された。
この辺り、画壇からの否定的な扱いは、甲斐庄と似ている。
この後、御舟は長く人物画を描く事から遠ざかってしまう。
今展の作品は、久し振りに描いた女性の絵で、妻をモデルにしたもの。何れも日本画伝統の美人画という類ではなく、妻のある瞬間の動作と表情を切り取った。
細密法は影を潜め、細部に病的に執着する姿はこの絵からは窺えないが、切り取った瞬間の妻の表現には、ある種の冷徹さがあり、美しく描こうという姿勢は全く見られない。これには、1929年、美術使節としての渡欧の影響があるのだろうか。
しかし、人物画というカテゴリーでそれを熟成させる事なく、速水はこの絵の4年後、1935年(昭和10)、腸チフスにより僅か40歳で急逝してしまう。
その他、洋画も含め、素晴らしい絵は多々あり、それらについて書きたい欲望もムラムラと湧くが、敢えて私的テーマに絞り、今回は筆を置く事とする。
明日はベーコンの特殊な愛の姿について。
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