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2009年02月28日01:42

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「アンドリュー・ワイエス〜創造への道程」展

2/26(木)、名古屋に出かけ、愛知県美術館で開催されている「アンドリュー・ワイエス〜創造への道程」展を観てきました。Bunkamuraで観る事ができなかったものです。とは言っても、この展覧会に出品されたのは、’06年10/28に行った菊川市常葉美術館で観たものと重複があります。
→常葉美術館展http://mixi.jp/view_diary.pl?id=254362087&owner_id=3341406

つい先日1/16には、ワイエスが91歳で亡くなりました。
開催主旨にはなかったでしょうが、この展覧会は、観客にとって彼の死を強く意識させるものとなりました。そういう角度からこの個展を眺め直した人は多かった事でしょう。

私は、彼の死を知った事を書いた日記で、国も時代も大きく離れたハンマースホイとの類似をつい口走りました。
→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1054564733&owner_id=3341406
その訳を解明できない迄も、実感を改めて確認してみたい気持を持ちながら、今回は名古屋に向かいました。


この展覧会の副題にある「道程」という言葉の意味は、完成作品とそれに向けたスケッチや習作等を併行して展示するという企画意図から来ています。
私はそこから、彼の考えの変化や、心の深奥が見て取れるかと期待しました。
『火打石』(1975)『雪まじりの風』(1953)『松ぼっくり男爵』(1976)等は、それを探り出す為のいいサンプルとなりました。

何れも、デッサン段階と最終完成品との間には大きな違いがあります。それは、描かれた素材が、この「道程」の中で徐々に減っていくという奇妙な現象です。
『火打石』では、画面最前部の生きた蟹、巨岩の上に佇む1匹のカモメ。
『雪まじり・・』では、手前中央の木立、右遠景の乱舞するカラス達。
『・・男爵』では、松ぼっくりを拾い集めてヘルメットに入れている、カーナー牧場の主カールの妻アンナの姿。カールはドイツからの移民で、ヘルメットは先の大戦で彼が使ったものです。
つまり、極言すれば、画面から生あるものが削除されていっているという「道程」です。
それによって、絵の物語は一層謎と深みを増して私達の目の前に提示される事になります。

彼の言葉をいくつか拾ってみましょう。
「もろく、からからに乾燥した骨のような家(あの『クリスティーナの世界』のクリスティーナと弟アルヴァロのオルソン・ハウスの事)が、この世から消えていくのもそう遠いことではないと感じていた。私はこの世のはかなさというものに人一倍敏感である。すべては移り変わる。決して、立ち止まりはしない。父の死が私にそう教えてくれたのである」。
「私は(中略)徹底して簡素なものにしたかった。その中にはしばらくの間クリスティーナやアルヴァロが朝の火を起こす時にできる煙の影の奇妙な動きを描き込んでいたが、それも消した。(中略)それらのものはあまりにも刹那的すぎた。私はこの絵を簡素で、まっすぐにすべてを凝縮したものにしたかった」。
「私は季節の中でも冬や秋が好きだ。風景の中にある骨組みや孤独感、死に絶えたような雰囲気が感じられる。何かがその下に隠れていて、物語の全ては明らかにされていない。そんな気がするのだ」。

ワイエスは、漂い移ろい変化するものよりも、「凝縮したもの」不変のものを求めています。そして、その不変の中で死が最も大きな1要素である事は、改めて言う迄もないでしょう。

『火打石』では、カモメを消し去っても、巨岩の手前に転がる魚の骨や貝殻の類は、その鳥が餌としたものですし、岩の上にへばり付いた白い痕跡は彼等の糞である事は明らかです。カモメを描き足したら、ミステリーは答えを曝け出されてしまいます。描かない事で、詩は深さを増し、人は生の残骸をより強く感じます。
『雪まじり・・』の茫漠とした丘も全く同様です。最前部の2本の朽ちた杭は、丘の上の1本と、魂の相呼応する墓標と見えます。
『・・男爵』のヘルメットは、松並木の下で松ぼっくりを盛られ、生の営みと対照的な死の隣接を、静けさの中に感じさせて充分です。

この、構成物、特に生あるものを消し去っていく工程は、デンマークのヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)の画家としての道のりを感じさせないでしょうか。
最初期にこちらを向いていた人物はいつの間にか向こうを向き、表情の判らぬものとなり、ピアノやテーブルと同じ中景の1画面構成物となり果て、ついには、ドアや窓から彼女は抜け出て、部屋には誰ひとりいない。あるのは北欧の光ばかり・・・。
→国立西洋美術館ハンマースホイ展http://mixi.jp/view_diary.pl?id=959480487&owner_id=3341406

さて、戻りますが、1980作の『747』という作品があります。
747とはボーイング747であり、朝の7:47でもあります。
ワイエスの田舎の母屋が画面中央にどっしりと腰を据え、その前景に、彼の妻ペッツィの後姿、上半身だけが画面の下縁に切り取られて描き込まれています。
空には画面奥に向かった飛行機雲の軌跡が描かれ、帽子を被った妻はその行方を見やっているのでしょうか、表情は判りません。
この下書き,習作を観ていくと、彼女の衣服は鮮やかなブルーから、最終でアイボリーに変えられ、家の木塀と同色系に馴染んでいます。帽子の色も赤系から屋根と同じ黒ずんだ茶に。朝陽が作った彼女の髪の輝きも、随分抑えられてしまいました。
この延長コンセプトで描き進めていったら、最後には、彼女はきっといなくなっていたに違いありません。
この絵の中心は母屋であり、2階の開かれた青い縁の窓なのです。妻の姿は、飛行機雲の軌跡と物語としてダブりがあり、ワイエス本人の言葉を借りれば、この絵は「凝縮」されきっていない感があります。

ワイエスの人生は大きな3組の死に縁取られています。
ひとつは、父の死。画家であり師であり(病弱で学校に行かなかった彼は父から直接絵の教育を受けた)、畏怖の対象で、旧い時代の家長でもあった。踏切で列車との衝突事故で急死している。1945年、ワイエス28歳。

次はクリスティーナとアルヴァロの姉弟。ワイエスは30年間も彼等とオルソンの家、そしてメイン州の自然を描き続けました。上で借用した彼の言葉にあるように、彼等の古い家と同じく、2人の生は徐々に、確実に、衰退していった。73歳で弟のアルヴァロが骨ガンに冒され療養所へ移る。ひとり残された手足の不自由なクリスティーナ(74歳)は、甥の許に引き取られるが、メイン州の地を離れ、アルヴァロなしで生きていけるとも思えない。その年の年末にアルヴァロが死ぬと、クリスティーナも1月に亡くなってしまう。1968年、ワイエス51歳。

もうひとつは、ペンシルヴェニアの自家の隣、『松ぼっくり男爵』のカール。ワイエス13歳からの付き合いです。彼の家と、特にドイツの森から移植した松並木は飽かず繰り返し描いた。20歳程歳上のカール・カーナーに、ドイツの血の僅かに混じるワイエスは、自分の父を重ねて見ていた。ヘルメットや松並木は、敗戦国人の移民生活と時代とを尽くせぬ程物語るものだった。カールは1979年に80歳で亡くなっていますが、彼が体調を壊した1970年前後から、ワイエスは、カーナー家の松並木を描き始めています。ドイツ松の暗く重たい影は、カールの人生の終末を象徴していると思えます。

このようにして、虚弱体質で生まれ、結核で肺を切除する程の病も経験したワイエスの脳裏に、3組の死は、生が間違いなく日々死に向かって歩むものとして、その輪郭を色濃くさせていったのだと思います。
 

写真は、ワイエスと『松ぼっくり男爵』
 
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