(続き)
ある日、琴子は列車の中で新聞売りをする少年達を見た。リーダー格の少年 将吉(羽山由一郎)は身体は小柄だが賢こそうで、世の回り方を訳知りの如く、男子姿の琴子に教えてくれた。上野で男に新聞を預かり、それを車内で売りさばいて、夕方男に売り上げを手渡すと、その幾割かを貰える。それは靴磨きよりはマシな稼ぎのようだった。
琴子は将吉のグループのあとについて、鉄道の高架の柱を上り、レンガ積みの隙間に入り込んだ。将吉がメンバーの名を教えてくれたが、どうせ皆本名ではない。訊かれた琴子は、目の前に落ちていた新聞で目に入った記事から「吉田茂男」と答えると、皆は笑って受け入れてくれた。
少年達に新聞を渡しているのが、上野駅前の闇市で力を持った振興ヤクザの菊沢徹(岡田准一)だった。彼は南方戦線からの帰還兵だ。
菊沢は少年達を引き連れ、とある店で鰻重を食べさせてくれた。こんなウマいものが世の中にあるのかと、がっついて食べる少年達。
菊沢はそのさまを見て笑いながら言った、軍は本土決戦に備え、人々の飢えなど無視して膨大な物資を隠した。物はあるところにはあるんだ。持てる者が分け与え、貧する者が助けられ、汗かく者が満たされる。そうでなければ何を平和と呼ぶんだい。目を開けろ。真っ暗でもじっと見開いてみろ。じきに色んなものが見えてくる。もう暗闇じゃなくなる。
菊沢徹は様々な仕事に子供達グループを手先として使った。
少年らは、金や食べ物をくれる菊沢を慕うようになる。闇市でその金はものを言った。
遂に旧軍の隠匿物資盗みだしの手伝いに駆り出される事となったが、子供らは警察に検挙され、途中で逃げ出すものの、とうとう矯正施設へ「島送り」になる。
この施設「水上寮」は歴史史料で知られていない部分が多いが、社会不安を怖れたGHQが、日本政府に対し不良らの取締りを求めて作られた「浮浪児対策要綱」(1946)によるものらしい。
表向きは「子どもの健全育成と福祉」だったが、警察や行政は子供達を「狩り込み」、東京湾の離島に送った。
対処・教育は表面的にはソフトなものだったが、「治安維持」が目的で、子供らは檻に入れられたも同然だった。
琴子は知識を有さぬまま、この島で初潮を迎える。
賢い将吉は、茂男(琴子)の態度から何かを感じ取る。
報道機関が施設の取材に来た時、将吉らは一計を案じ、ひとりの記者(坂東龍汰)が欲しがっているネタ(島の実態)を提供する代わりに、密かに逃亡の協力を求めた。
約束の日にボートが来ないため、監視員らに追われた将吉達は、廃材を浮き輪として海に飛び込んだ。琴子もあとを追った。
琴子は材木を離してしまい溺れそうになるが、途中で漁船に救われた。実はこの小さな漁船が新聞記者が秘密裏に手配したものだった。記者は無論船には乗っていない。
船の漕ぎ手はノリ漁師の山井甚平(役所広司)、浜辺に着くとその妻けい(田中裕子)が待っていた。
溺れかけた琴子は熱を出す。けいは看病する中で茂男が女である事を知り、月経の対処方法を教えた、グループの仲間には隠したまま。
東京に戻った将吉らが上野に戻ると、駅前の闇市は取り壊されているところだった。時代は変わっていく気配。
少年グループの中には、菊沢徹に会いにいこう(頼りにしよう)と考える者とそうでない者とがいた。
菊沢組の事務所が何者かに襲われ、徹は怪我を負う。
徹に接近した刑事(北村有起哉)は、この襲撃が朝鮮人によるものとけしかけ、組と朝鮮人の抗争を焚きつける。
戦前から一貫して在日朝鮮人は左翼勢力同様、官憲にとって取締りの対象だった。
朝鮮併合(1910)来、日本人は彼らを植民地人として扱い、彼らを戦地に多数動員した。
終戦後、彼らの反発や暴動を怖れた政府と治安当局は、朝鮮人達の取締り体制を強化した。半島への帰国を進める措置も講じ、彼らは日本人ではないとの理由から軍人恩給や公的補償の数々を受けられなくなった。
関東大震災(1923)直後も、官憲自ら「不逞鮮人」暴動の流言を拡大していた事実があった。
菊沢徹と警官の会話を、少年グループの小山が事務所の脇で聴いていた。小山は実は朝鮮国籍だったが、周囲にそれを隠して生きてきたのだった。
小山が瓶にアルコールを満たし口に布を差し込んだ、いわゆる手製火炎爆弾を自転車の荷台に何本も載せ、朝鮮人達の事務所に近づいていく。おそらく裏で彼を脅迫した者がいて、行動をひき起こさせようとしたに違いない。事務所では、小山の兄が仕事をしている。
小山の危ない行動を察知した将吉は、おまえは事務所に行って皆を逃げさせろ、火炎瓶を投げる役は俺が代わる、と。
結果、火事は小規模で、小山の兄も含めケガ人は出ずに済んだ。
少年達のグループはバラバラになっていく。
(続く)
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