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2026年04月25日11:00

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「近代文学でよむ 文の京の坂と名所」/森鴎外記念館~2/end

〈続き〉

◆東京大学
根津神社の西の丘の上を南北に走るのが本郷通りで、これを南へ行けばすぐ東京大学本郷キャンパスの校舎群が左手に見え、赤門前に至る。
1877(明治10)年東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学が創設された。校地は旧加賀藩前田家上屋敷跡。

夏目漱石『三四郎』(1908)〜熊本から上京したばかりの三四郎が、これから学ぶ東京大学を夢もって眺めている。
「正門を這入ると、取突の大通りの左右に植えてある銀杏の並木が眼に付いた。銀杏が向うの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門の際に立った三四郎から見ると、坂の向うにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根の後ろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行きのある景色を愉快に感じた。銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。(中略)法文科の右のはずれから半町ほど前へ突出している図書館にも感服した。」

おくての三四郎は校内の「育徳園心字池」の畔で美禰子に出逢い、謎めいた事を言う彼女に次第に惹き込まれていく。
池の正式名は知る人も少ないが、「三四郎池」として通称されるようになるとは、漱石もあずかり知らぬ事だったろう。

レポート「上京1日目〜東大キャンパス」(2022.11.26記)参照。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983798848&owner_id=3341406&from=list_diary_search

同「上京2日目〜本郷界隈� �(2022.11.28記)参照。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983816371&owner_id=3341406&org_id=1983798848&from=neighbor_next

◆無縁坂
東京大学医学部の鉄門前から不忍池へ下る坂。坂の上に無縁寺があったためこう呼ばれるようになったらしい。
鴎外は医学部在学中、鉄門前の龍岡町(現 湯島4丁目)の下宿に住んだ事がある。

鴎外『鴈』(1911)
1880(明治13)年、主人公の東大生 岡田には毎日決めた散歩コースがあった。
「そのころから無縁坂の南側は岩崎の邸(*)であったが、まだ今のような巍々たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石の間から、歯朶や杉菜が覗いていた。あの石垣の上あたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに苅られることがなかった。」
 (*)1878(明治11)年、三菱財閥創始者の岩崎彌太郎が購入したもので、現 東京都立旧岩崎邸庭園。

無縁坂の途中には、口にも出せず密かに岡田を慕う、高利貸しの妾 お玉の家があった。
ほんの偶然のすれ違いが人の一生を左右してしまう事がある。

1952年頃の無縁坂
『鴈』の無縁坂はこれより更に72年遡る。
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現在の無縁坂
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◆本郷三丁目
本郷通を東大正門前から更に南下、春日通りと交わる所が本郷三丁目。
1904(明治37)年には、本郷通りを、文京区で一番早く路面電車(のちの市電)が開通した。

漱石『三四郎』の続き
「四角近くへ来ると左右に本屋と雑誌屋が沢山ある。そのうちのニ、三軒には人が黒山のようにたかっている、そうして雑誌を読んでいる。(中略)四角へ出ると、左手のこちら側に西洋小間物屋があって、向側に日本小間物屋(*)がある。その間を電車がぐるっと曲って、非常な勢で通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向うの小間物屋を指して「あすこでちょいと買物をしますからね」といって、ちりんちりんと鳴る間を駆抜た。」
 (*)「日本小間物屋」は江戸の川柳「本郷も兼康(かねやす)までは江戸のうち」で知られた老舗。当時は女性の髪飾りゃ化粧品を売っていた。

「新撰東京名所図会」(1907)より笠井鳳斎《本郷三丁目及同四丁目の図》
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「東京大学」の項で掲げたレポート「上京2日目〜本郷界隈� �(2022.11.28記)で「本郷三丁目」についても触れている。同リンクより参照。

◆吉祥寺
本郷通りを逆に北へ上がると、右手に本駒込の吉祥寺がある。
太田道灌が江戸城和田倉門辺りに建てた吉祥庵が始まりらしい。のち駿河台に移転、明暦の大火(1657)で焼失し、ここに移ってきた。
太平洋戦争で殆ど焼失したが、曹洞宗僧侶の学寮「旃壇林」の扁額を掲げる山門と経蔵のみが往時を偲ばせる。

宮本百合子『伸子』(1924-26/「改造」連載)
「伸子は、台所口に錠をかけて外へ出た。表の大通りでは、電車がやかましい軋りを立てて、埃の中を走った。吉祥寺山門のいしだたみのところでは、三人の少女が唄にあわせて毬をついて脚の下を潜らせていた。伸子は、鐘楼のそばを、裏通りへ抜けた。斜にもう一筋、ごたごたした大通りを横切って、静かな屋敷町に出た。彼女は散歩がてら、母つや子に会うつもりなのであった。」

作者本人の体験を作品化した百合子の代表作。戦前の早い時代に、彼女は女性の側から近代的自我の確立を描いた。

レポート「文京区本駒込 養昌寺と吉祥寺」(2025.5.25記)参照。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990029332&owner_id=3341406&from=list_diary_search

「旃壇林」の山門と経蔵の写真はリンクからご覧頂ければと思う。


展覧会チャプターと展示品は以下の通り。

◇第1章「鴎外の住んだ町・千駄木」
  図書,雑誌,原稿 16、絵画,参考図版,写真 8、手紙,葉書 1 =全25点
◇第2章「文の京の坂と名所のものがたり」
  図書,雑誌,原稿 46、絵画,参考図版,写真 24、手紙,葉書 4 =全74点
展示総数全99点。


〈参考資料〉
図録『近代文学でよむ 文の京の坂と名所』
 執筆 大木志門
 発行 2026.4.11、森鴎外記念館
 
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