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2026年03月27日12:00

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戦犯弁護人 祖父が残した記録~5/end

3.26(木)の中日新聞記事。
「戦犯弁護人~祖父が残した記録」連載全5回の最後。

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太平洋戦争後の1946~49年、オランダが開いたインドネシア・アンボンでのBC級戦犯裁判で、戦犯らの弁護に当った岩瀬良尾弁護士が残した個人的ノート(岩瀬ノート)を見つけた孫の嘉之さんは、15年かけてこれをパソコンに清書・整理した。
その中の1裁判について、記事はその4迄、戦争犯罪が行われた経緯や彼らの心理の読解を試みてきた。

記事の最終回はそれをもう少し深めてくれるものと期待していたが、別の人物が書いた手記へと移ってしまった。

別の人物とは陸軍中尉S、やはり岩瀬弁護士が裁判で奔走し、死刑判決を免れ、のち帰国した。

1948年の裁判で陸軍中尉Sは死刑を求刑されたが、判決では無期懲役となった。
岩瀬ノートには「死刑を免れて首がつながり、本人は喜んでいた」とある。

翌1949年、インドネシアはオランダの300年強に亘る植民地支配から独立。
陸軍中尉Sは日本に送られる事となり、東京「巣鴨プリズン」に収容された。

その後、仮釈放となり、1954年34歳の時、同郷の女性と結婚。
その2年後、元陸軍中尉Sは正式に釈放された。

この間の経緯の詳細は分からない、が、岩瀬弁護士の孫の嘉之さんが、元陸軍中尉Sと連絡をとろうとしていた。

それにより、元陸軍中尉Sは2007年87歳で亡くなっていた事が知らされた。

元陸軍中尉Sは、遡る1992年72歳の時、戦争及び裁判の体験を手記にし、親族らに配っていた。そのタイトルは『醜の御盾(しこのみたて)』という。

「醜の御盾」は、万葉集の防人の歌から取られている。
「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは」
この歌は、太平洋戦争中、国民が天皇に命を捧げ、国を護る決意を述べた歌として称揚された経緯がある。即ち、「今日からは、後ろを振り返ることなく、天皇を守る楯の1人として出立するのだ、私は」と。
「醜(しこ)」は頑強,頑丈、更には融通が利かない馬鹿正直という意味も持つ事から、お上に対して自分を卑下して言う場合もあると考えられている。

この手記の中で、元陸軍中尉Sはインドネシアを占領する者として、「村民に甘く見られたらおしまいだ。日本軍の威力を示して恐れさせ、反抗気勢を抑えることも必要だったので、(村民の)処刑を決めた」と記している。
処刑の手法や何人殺したかは書いていない。
中尉であるから、処刑命令を部下に出す立場だったろう。また、見本として自ら手を出したかもしれない。

彼は続けて「処刑後、何とも言いようのない暗うつな気分に襲われた」と書いている。

戦犯裁判での起訴理由は、適切な軍事裁判を経ずに職権を乱用し複数の住民を銃殺した、としている。
岩瀬ノートの側には、これに関する記述は見当たらないようだ。

手記にはまたこうも書かれている、
「戦犯者は戦争の不運な犠牲者といえる。だからといって、戦犯者の行為は免責されない。侵略戦争でアジアの諸民族に強いた犠牲がいかに大きかったか。罪は一部の戦犯者によって消え去るものではなく、戦争に加担したすべての日本人に課せられるものだ。」


充分とは言えないが、これで全5回のレポートを終了します。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
 
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