3.9(月)、NHK総合の「映像の世紀 バタフライエフェクト」は、『将軍ルメイ「悪魔」と呼ばれた男』を放送した。
この日に放送したのには深い訳がある。
米国ネブラスカ州オファット空軍基地 世界で軍事力を展開するアメリカ軍は核戦略の司令塔をここに置いている。空/陸/海(戦略爆撃機/大陸間弾道ミサイル/潜水艦発射弾道ミサイル)に配備されている核戦力、それら全てを指揮するアメリカ戦略軍だ。
2019.11、ある人物の名を冠した施設がオープンした。「カーティス・ルメイ指揮統制部」。
施設に飾られた記念の油彩肖像画。
国防副長官(当時)デイヴィッド・ノルキストはその席上で、ルメイについてこう紹介した、「ルメイ将軍は10年に亘り戦略空軍司令官を務め、我が国の爆撃部隊を強化し、今日の比類なき抑止力へと発展させた。」
米国空軍を世界最強へと押し上げた立役者カーティス・ルメイには、「皆殺しのルメイ」「悪魔」など数々の異名がある。
81年前、1945.3.9深夜にサイパン及びテニアン基地を飛び立った米国爆撃機の大編隊は、3.10未明、1夜にして10万の市民の命を奪う東京大空襲を行った。その指揮をしたのがルメイだ。
その後、短い期間で60以上の都市を焼け野原にした。
ルメイの言葉「我々の最大の目的は、敵の心臓部を正確且つ限りなく短時間で爆撃する事だ。平和と戦争の違いは、我々が何処に爆弾を落とすかの違いだ。」
カーティス・ルメイについては、2024.9月、マルコム・グラッドウェルの『ボマーマフィアと東京大空襲』で知り、同年11月には、江東区にある東京大空襲・戦災資料センターにも出かけた。
〈参〉
・「M・グラッドウェル著『ボマーマフィアと東京大空襲』」(2024.9.27記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988482977&owner_id=3341406&from=list_diary_search
・「東京大空襲・戦災資料センター」(2024.12.4記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988926921&owner_id=3341406&from=list_diary_search
ルメイは、太平洋戦争のあと朝鮮戦争で南北殆どの主要都市を爆撃、100万人が犠牲になったと言われる。
そして、米ソ冷戦の真っただ中、空軍トップの参謀総長に上り、冷徹な計算と鉄の意志で軍拡を押し進め、アメリカは世界の覇権を握るに至った。
ルメイの登場によって主たる戦場は地上から空へ移り、アメリカの戦い方は決定的に変わった。
2026.1.2、ベネズエラ侵攻の翌月、2.28、アメリカ軍はイランへの先制攻撃を開始。
最初の24時間で1,000以上の標的を攻撃し、最高指導者ハメネイ師らを殺害したと発表。
トランプ大統領「アメリカとその同盟国は"壮絶な怒り作戦"を発動した。これは世界がこれ迄に目にした中で最大規模且つ最も複雑で圧倒的な軍事攻撃の1つだ。」
徹底的な破壊で戦意を奪いとり、一気に決着をつける。ルメイの思想は今もアメリカの軍事作戦の根幹である。
ルメイ「戦争を早く終わらせる事で人々の命を救い、苦しみから救う事ができる。未来に数えきれない死者を出さないために、より少ない人々の命を犠牲にする必要があるのだ。」
世界最強のアメリカ空軍を築き上げた指揮官カーティス・ルメイの生涯を番組は辿る。
力によって平和を保つという思想の中に今もアメリカはあり、その影響下に世界はある。
1927.5、リンドバーグ世界初の大西洋単独無着陸飛行成功。空の時代が到来する。
アメリカ中で飛行機やパイロットへの関心高まり、陸軍航空隊の野営地にも多くの見物人が訪れた。
オハイオ州生まれ、20歳のカーティス・ルメイも空を駆ける男達に心奪われた。
同年、大空への夢に突き動かされルメイは大学に通いつつ、陸軍予備役訓練コースに入隊、パイロットへの第一歩を踏み出す。
1930、アメリカ陸軍航空隊入隊。
だが、そこは陸軍の下部組織で、当時アメリカには独立した空軍がなかった。敵の偵察や兵器の輸送など、あくまで陸軍の支援が主な任務だった。
第二次世界大戦開戦の1939年、航空機生産数はドイツ8,295/日本4,467/アメリカ2,141。最新爆撃機B17も20機しかなかった。
この頃米国陸軍航空隊のトップ司令官に立っていたヘンリー・アーノルド将軍は野心を抱いていた
アーノルド「この国を守るためには偉大なる空軍組織が欠かせない。そのためには優れた航空輸送システム、訓練された部隊が必要だ。」
その野心は思わぬ形で動きだす。
1941.12.8(日本時)、太平洋を渡ってきた350機もの航空部隊による奇襲攻撃「真珠湾攻撃」。
アメリカはその衝撃に打ちのめされ、航空戦が戦争の主役になるという現実を突きつけられた。
ルーズベルト大統領(当時)は陸軍航空隊に、一気に50倍もの予算を与え、日本への空爆を強く要求した。
アーノルド「空軍に素晴らしいチャンスが巡ってきた。我々はこれ迄ずっと声を聞いてくれと訴え続けてきた。独立した空軍を夢見てきた。」
1942.10、パイロットとして実績を重ねてきたルメイ、大佐に昇進。
ドイツと戦うため第305爆撃飛行群とヨーロッパへ向かう。
その過酷な戦場で、彼らはドイツ空軍の精鋭の猛攻撃を受けた。高射砲に撃ち落される飛行機もあった。
苦戦する中、ルメイは攻撃と防御を両立させた革新的飛行編隊を生み出し、部下から高い信頼を得る。
1943、アメリカでアニメ映画『空軍力の勝利』が公開された。製作したのはウォルト・ディズニー。
米軍が押し進める航空戦略をあと押しするためのプロパガンダ映画だった。
映画には当時まだ誰も見た事のなかった超大型爆撃機が登場、それらは大編隊を組み日本に向かう。
降り注ぐ爆弾が都市を破壊していく。この光景は、2年後東京大空襲として現実のものとなる。
アメリカは日本爆撃の準備を着々と進めていた。切り札は新型の超大型爆撃機B29。
航続距離は従来の倍近い5,700km、最大高度12,000m、敵の迎撃が届かない上空から爆撃をする、戦争の常識を変える飛行機だった。
前出の陸軍航空隊司令官ヘンリー・アーノルド「B29は特別な攻撃力となるだけでなく、空軍の将来がかかっている重要な機体だ。言い訳は一切許されない、どのような問題がおきようが、何としても乗り越えねばならない。」
通常は10年かかる爆撃機開発だが、日本との戦争に間に合わせるため、僅か4年で完成に漕ぎつけた。
実戦配備は1944.5。
その頃、米軍がマリアナ諸島を制圧。日本本土を直接爆撃できる戦略拠点を手に入れた。
アーノルドがサイパン島を訪れた時の映像が残っている、「諸君はこれから日本へ向かう。君達には世界最高の爆撃機B29がある。東京空爆の時にはメッセージを届けて欲しい。」
…日本の指導者達よ、我々は真珠を忘れない。B29がお前達に思い知らせてくれる。何度も何度でも!…搭載した爆弾にそう書き込んだ。
この時、B29の指揮を任されていたのが第21爆撃軍司令官ヘイウッド・ハンセル将軍。長くアーノルドの参謀を務め、信頼も厚かった。
1944.11、B29が東京を目指し次々に飛び立った。
人類史上初めての高度10,000mからの空爆。しかし待っていたのは想定を超える現象だった。
B29のパイロットの声「日本の上空では非常に厳しい風 ジェット気流を初めて体験した。しかも年間で最も厳しい時期で、我々は真っすぐ飛ぶ事もできなかった。」
当時アメリカの航空隊に義務づけられていたのは精密爆撃。都市の人口密集地を避け、軍事工場などをピンポイントで爆撃し戦争遂行能力を奪う空爆である。
ルーズベルト大統領は、あくまでも人道主義に基づいた戦い方を訴え、他の連合国にも、無差別爆撃の自粛を要請していた。
だが、精密爆撃の困難さを示す映像がある。
米軍の爆撃機は日本の軍事施設を狙って爆弾を投下しているのだが、大きく逸れる。高度10,000mの日本上空には時に時速300kmを超えるジェット気流が吹き荒れていた。(開発されたカール・ノルデン爆撃照準器を搭載していても)目標を正確に捉える事は殆ど不可能だった。
人道的な精密爆撃を続けた指揮官ハンセルは、成果を上げられず、僅か3ヶ月で更迭された。
(続く)
ログインしてコメントを確認・投稿する