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2026年03月03日16:21

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「たたかう仏像」展/静嘉堂@丸の内

3.1(日)、上京して2つの展覧会を観た。
1つは静嘉堂@丸の内の「たたかう仏像」。
もう1つは天王洲アイルのWHAT MUSEUMの「諏訪敦 きみはうつくしい」。

先ずはオール静嘉堂所蔵品による「たたかう仏像」展についてレポートする。

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・会期 1.2~3.22
チラシの像は唐時代7世紀後半の《加彩神将俑》(かさいしんしょうよう)、怒りの表情ではあるが何となく愛嬌のある体つきで、怖くない。

◇本展の狙い
仏像で先ず思い浮かべるのは、柔和な表情の仏や菩薩だろう。しかし、仏像の中には鎧をまとった毘沙門天や神将、火炎を背負った不動明王など、怒りの表情のものもある。
この展覧会では、静嘉堂所蔵品の中から、武装した仏像(「たたかう仏像」)を集めて展示している。

◆第1章(��)「救済の最前線〜たたかう仏像のさまざまな姿」

絵画に描かれた武装する仏像は、祈る者の求めに応じ、様々な姿をしている。
例えば毘沙門天は観音菩薩の33の応現身の1つ。観音への祈りに応じて現世に現れ、人々の困難を解決する。
また不動明王は、大日如来の化身で、如来や菩薩が優しく教え諭しても聴かないひねくれ者を恐ろしい姿により力ずくで導く。不動明王を観想する行法「不動十九観」には、童子形であるのは衆生に接するため、剣を持つのは衆生の煩悩を覗くため、と書かれている。
「たたかう仏像」は衆生に接する最前線で、実効的な救済を行う存在として信じられたのである。

《不動明王二童子像》詫磨栄賀筆、南北朝時代14世紀 [重要文化財]
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周囲に白波が立つ岩の上に、不動明王と二童子。下方の龍が宝珠を捧げ、上方の龍は三鈷剣に稲妻の火炎を吹きかける。

◆同(��)

《騎獅文殊菩薩像》室町時代15世紀
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鬱金色の身体の文殊菩薩は、左手に金剛印を持ち、にっこりと微笑んでいる。この姿は密教で重視される『大日経疏』の記述に基く。文殊菩薩は衆生救済の尊格として信仰される。

◆第2章「静嘉堂の仏像×俑(よう)」

神将像がまとう鎧は、奈良時代に唐から取り入れた甲冑の形を基本にしている。
ここでは、日本の神将像と唐時代の神将・官人像を並べて観てみる。
俑は、中国の墓に納められた人形の土器・陶器で、戦国時代に始まり、秦の始皇帝の「兵馬俑」を経て、明・清時代迄続く。
南北朝時代後期から隋・唐初(6~7世紀)の武装する俑がまとう鎧の形式は、同時代の仏像にも取り込まれ、唐時代にはその逆の影響の行き来もあった。
日本の「たたかう仏像」がどう受け継がれてきたかが、並行展示でよく分かる。

《加彩武人俑》後漢~西晋時代2~3世紀
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平らな帽子を被る武人のダイナミックで古様な俑。全身に白地と朱による彩色が残り、大きく張り出す鬢には毛筋掻きが使われている。歯を食いしばり腕を振り上げる姿は西晋時代(265-316)の出土品によくある。
左手には盾、右手には何らかの武器を持っていたと推察される。

冒頭に掲げたチラシと下は一対の武人俑。
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兜を被るこちら俑は大きく開口し、チラシの俑は閉口、異なる様式の甲冑をまとう。
左右の眼の向きを微妙にずらした瞋目(しんもく)の表現は、のち日本の四天王像や不動明王像にも通ずる。
チラシ像は頭上に宝珠の飾りを付けている。両者共見事な彩色が残っている。

《広目天眷属立像》康円、鎌倉時代1267(文永4)年 [重要文化財]
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康円は運慶から3代目の仏師。
四天王眷属像のうちの1躯。台座底面の墨書で、制作年と奈良・内山永久寺真言堂に安置された像である事が分かった。
裳に施された金色の文様は絵画的で、南都絵仏師が手掛けた可能性が高い。

◆第3章「十二神将と十二支の世界」

十二神将は、本来干支と無関係だったが、数の一致から東アジアでは結びつけて信仰されるようになった。
十二進法で進み廻る時間・方位は、生活に深く根付き、現代にも活きている。
静嘉堂所蔵の十二神将立像は京都・浄瑠璃寺旧蔵で、頭上に十二支獣が付けられている。
十二神将は薬師如来に随侍し、薬師如来を信ずる者を守護する。浄瑠璃寺の薬師如来坐像に随侍していたが、現在は静嘉堂に7躯、東京国立博物館に5躯分蔵されている。

《十二神将立像》鎌倉時代1228(安貞2)年 [全重要文化財]
以下、静嘉堂蔵の7躯中5躯。
《同 子(ね)神像》
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《同 丑(うし)神像》
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《同 寅(とら)神像》
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《同 卯(う)神像》
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《同 午(うま)神像》
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各神像は二種類の白描画を基にしていると言われているが、午神像のみ典拠が明らかでない。
可能性が指摘されているのは第1章で画像をピックアップした《不動明王二童子像》で、明王の足許向かって左にいる《制吒迦(せいたか)童子》との類似をご覧頂きたい。
以下、同拡大図。
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浄瑠璃寺旧蔵の《十二神将立像》はひと頃運慶作との説もあったが、2018年の亥神像の修理で、頭部背面に「あんてい二ね」との墨書が確認され、1228(安貞2)年は運慶の没年1223(貞応2)年の5年後であり、運慶作はあり得ない。
 
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