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2025年11月05日10:00

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秋の上京2日目、六本木 サントリー美術館(土佐の絵金)~1

10.29(水)、秋の上京2日目の午後は、地下鉄大江戸線で清澄白河から六本木へ出て、サントリー美術館へ。

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・会期 9.10~11.3

終了日も近い「幕末土佐の天才絵師 絵金」展、これは是非観ておかねばならない。

「絵金」とは、江戸末期から明治初期にかけて土佐を中心に活躍した絵師 金蔵(1812-76)の事。出生地高地ではこの略称で今も愛されており、彼にまつわる毎夏の祭りも複数ある。
近年では、高知県香南市赤岡町に「絵金蔵」が開設され、同市野市町のアクトミュージアムには絵金派アートギャラリーがオープンするなどしている。

本展はあべのハルカス美術館(2023)、鳥取県立美術館(2024)からの巡回で、東京都下で絵金作品のこれ程大規模な展覧会は初だとの事。

彼が描いたのは、専ら歌舞伎や浄瑠璃の芝居の一コマで、その屏風絵(多くが二曲一隻)の極彩色、残酷、猥雑、その異彩は一度観たら目に焼きついて離れない。
しばらく前に、友人からいつそんなに惚れ込んだのかと訊かれた事があったが、思いだせずにいた。
本展を観たのち、家に帰っていろいろ調べるうちに、記憶の糸を辿る事ができた。

1966年、平凡社の月刊「太陽」誌で特集が組まれ、広く知られる事に。
1971年、中平康(1926-78)監督により絵金を主人公にした映画『闇の中の魑魅魍魎』が制作され、カンヌ国際映画祭に正式出品。
脚本は新藤兼人、絵金役を演じたのは麿赤児である。権力と個人の闘争を描くフィクションで、ドキュメンタリーではない。
この映画の摺りこみが私には大きかった!
「魑魅魍魎」という言葉は流行し、私もよく使った。
知らずにいたが、今年10月には限定館で再上映されたらしい。
下は1971年公開時と今回限定上映のチラシ。

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今回のチラシ上部に取りこまれているのは、絵金代表作の1つで本展にも第一章に出品されていた《花衣いろは縁起 鷲の段》(部分)。

追憶に浸るのはやめて、まずは絵金の生涯を簡単に辿っておく。

金蔵は1812(文化9)年、高知城下の新市町(現はりまや町)で髪結いの子として誕生。
幼少時より画才を認められ、土佐藩御用絵師にも学んだ。
18歳の時、土佐藩主の娘 篤姫の駕籠かきの名目で江戸へ。狩野派の土佐藩御用絵師 前村洞和の下で修行。(幕府御用絵師 狩野洞益に師事したとも言われる。) 通常なら10年はかかるところを3年で修了、洞意なる号を得て帰郷。20歳で
土佐藩家老 桐間家の御用絵師に用いられた。ここで藩医 林の姓を買取り、林洞意と名乗る。

大出世だったが、33歳の頃には御用絵師の身分と林姓を剝奪され、城下より追放されてしまう。
狩野探幽の贋作を描いた嫌疑からとも伝わるが、確かではない。
城下を離れたのちの足取りはよく分からない。「町絵師 金蔵」を名乗り、弟子と伴に制作した芝居絵や絵馬提灯は多数残されているが、いつどこで制作したものか確たる史料がない。
赤岡(現 香南市赤岡)の叔母の家に一時滞在していたとの伝えもあり、赤岡の北にある須留田八幡宮神祭に奉納された芝居絵屏風が代表作だ。

開化後、郷里高地に戻るが、1873(明治6)年中風を患い右手が利かなくなり、それでも左手で書き続けたと。
1876(明治9)年、数え65歳で歿した。

墓碑銘によると金蔵の手ほどきを受けた者は数百人にいた事になる。

本展では、前後期計、絵金周囲の画家作品も含め約100点が展示されている。
構成は以下の通り。

・第一章「絵金の芝居絵屏風」32点
 …香南市赤岡町の4つの地区所蔵品(「絵金蔵」管理)を中心に。
・第二章「高知の夏祭り」54点
 …高知県立美術館、アクトミュージアム所蔵品を中心に。
・第三章「絵金と周辺の絵師たち」12点
 …個人蔵、その他。

(続く)
 
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