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2025年10月28日13:00

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映画『おーい、応為』~2

(続き)

出戻ったお栄は、父の作品を見て眼力をつけ、描く方も再開する。おそらく南沢等明に嫁ぐ前から、描くのは始めていたと推察される。
しばらくすると、2人は長屋の同じ1室で、同じ格好で、背中を丸くして絵を描くようになる。
北斎は娘の絵に、ああしろこうしろとは言わない、が、横目で見ている。
ある時、お栄は、父が描いている春画を見て、"あの時"の女の足の指の反り方は男と違うんだと指摘。
父はいたく納得。
北斎はのち「美人画にかけては応為にかなわねえ」と洩らしたと伝えられている。
北斎は、(いつかは明確でないが)娘に「応為」の画号を与えた。
お栄の方は感激したフリも見せず、静かにただ「もらっとくよ」と言ってこの画号を受け取る。だが、父に認められた事に噛み締めるものはあったに違いない。

下は応為の《月下砧打美人図》(げっかきぬたうちびじんず)(東京国立博物館蔵)。その足に特徴がある。
フォト

白居易の漢詩『聞夜砧』から、夫を想いながら砧を打つ妻の情愛を象徴的に表していると評され、比較的早期の作と考えられている。

ある夜のできごと。
応為は真剣な目つきで、蝋燭の灯の向こうや手前に指をかざして、何か絵の真実を発見したような表情。
つい、「夜の画家」と言われ、蝋燭の灯をよく描きこんだバロックの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652/フランス)の作品を見るような思いに駆られる。

また、別の日には、吉原の妓楼「和泉屋」の前で、夕陽が落ち、店内に灯が点る変化を長い時間見つめている応為の姿がある。
これは彼女の最高傑作と言われる《吉原格子先之図》(よしわらこうしさきのず/1818-44頃)(太田記念美術館蔵)完成に至る道程を暗示している。

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陰影法を日本の絵に初めて持ち込んだのは応為と言っていいだろう。
夜の吉原を行き交う人々、楼内の明かりと提灯の灯が陰影に複雑な効果を出している。
そして、通りを歩く人が持つ3つの提灯には「應」「為」「栄」の文字がひっそりと書き入れられているのが分かるだろうか。

北斎は、お栄に向かってしばしば言う、「この家にお前のいるとこなんかねえ」「俺の世話なんかいらねえ」。
お栄はいつもそれに明確な返事をしてこなかった。
晩年、北斎は火事で手許に置いていた作品や絵の商売道具の殆どを失い、押し寄せる飢饉にも難儀し、富士の見える地方へお栄と伴に旅に出る。
富士から吹きおろす風が通り抜ける掘立小屋で、お栄は北斎に出てけ、江戸へ帰れと言われ、初めて感情を爆発させ、涙ながらに訴える、「オレがおまえの死に水をとると決めたんだ」。
この頃、北斎名の作品の多くで応為は手を入れていた、また一説には、応為が主導権をもって描いていた、との主張もある。
それが応為名の作品が少ない訳でもあったと考える人もいる。

〈参〉レポート「小布施北斎館と岩松院(改)」(2018.5.18記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1966630600&owner_id=3341406

女性画家など殆どいなかった江戸時代、自分の意志で自分の人生を立てて生きた稀有な女として、現代でも描く価値があると大森立嗣は考えたのだろう。
史実をうまく噛ませ、魅力ある映画に仕立てた。


監督・脚本 大森立嗣
原作 飯島虚心『幕末北斎伝』,杉浦日向子『百日紅』
撮影 辻智彦
美術 寒河江陽子
衣裳 大塚満
音楽 大友良英
編集 早野亮
浮世絵制作・指導 向井大祐,松原亜実

出演 長澤まさみ,永瀬正敏,高橋海人,大谷亮平,篠井英介,奥野瑛太 他

2025年/日本
 
〈参考〉
・月刊「芸術新潮」10月号 art NEWS『長澤まさみ 葛飾応為になる』
 インタビュー 長澤まさみ,松原亜美(東京藝大保存修復専門研究員)
 
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