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2017年09月04日18:48

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三浦綾子の言葉

確かに世の中にはいい人がいます。親切な人がいます。しかしキリスト教では、どんなにいい人でも、その心の中に、創造主なる神を見上げなければ、それは罪人だというのです。それは例えば、お父さんが家にいる。だが、その子が朝夕何の挨拶もせず、語りかけても知らんふりをしていたとしたら、これは無礼者、親不孝者というものでしょう。同様に真の神がいられるのに、他の神々には手を合わせても、一度として真の神には手を合わせないとしたらどうですか。この罪をキリスト教では原罪というのです。罪の素というのです。

(三浦綾子『夕あり朝あり』)
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