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2015年10月19日21:39

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三浦綾子の言葉

 『「人間には、決して他の人に代わってもらえないことがあります。例えば呼吸すること、食べること、そして考えることなどです。これは自分自身が負うべき責任です。」

 なるほどと私は思った。自分がいかに面倒くさいからといって、呼吸することを人に代わってもらうわけにはいかない。運動不足を解消するための散歩や体操を、変わってもらってすますわけにはいかない。考えることも、また同様の筈である。

 だが人間、果たしてこれらのことを、すべて自分の責任と受けとめて、生きているだろうか。よくよく考えてみると、呼吸すること、食べることはともかく、自分の考えることを自分の負うべき責任として、生きている人がどれだけいることかと思う。

 「学校の宿題愛一つ取ってみても、親や兄弟に力を籍りるということが、少しも珍しくなくなっている。大人たちもまた、子供が、
 「どうして勉強しなければならないのか」
という問を発した時、実に簡単にその問題提起を切り捨て、折角の成長への芽を踏みにじってしまうのではないか。

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 しかし子供たちは、そんなことを聞いているのではない。人間が勉強するとは、いったいどういうことなのか、それは根源的な生き方と、どのように関わるのかと、聞いている筈なのだ。
 子供の潔癖な魂は、(何かが欠けている)と感じながら勉強している筈なのだ。

 勉学という一事を取ってみても、私たちは広い視野に立って、あるいは深みを見つめて考える、という訓練を受けていない。
 根堀り葉堀り尋ねると、「うるさい」とか「しつこい」とか、一言のもとに跳ねつけられる。そんな環境の中に育っては、次第に人生に対する考えが浅くなってくるのではないか。

 「考えることは自分の責任」
という明確な自覚は、実はいわゆる立派な人、政治家、指導者と言われる人々にも欠けてしまっている場合が多い。』

( 『忘れえぬ言葉―私の赤い手帖から』)
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