11/24〜25、大学時代の文学仲間との久し振りの例会で上京。
新型コロナのせいで会うのは3年振りである。
行程は11/24にアップ済み。以下参。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983782003&owner_id=3341406
今回の2日間の大きな目的は、特に明治期の文化史の一端、その現場を実際に歩いてみるところにある。
・1日目 東大本郷キャンパス
・2日目 東大西側の本郷一帯
12:15、東大赤門前にてK村と落ち合う。
国指定重要文化財の赤門(旧加賀屋敷御守殿門)は耐震構造検査とかで、防護シートが掛けられ、美しい姿は見る事ができなかった。
北へ上がって正門から入る。こちらは国登録有形文化財。
イチョウ並木から真っ直ぐ大講堂(安田講堂)へ。
安田善次郎の寄付、内田祥三の設計で1925(大正14)年竣工。国登録有形文化財。
バランスの良い現姿からは、1969(昭和44)年、立て籠もった全共闘の学生等と機動隊の壮絶な争いは想像がつかない。
時間からしてまず昼食と、講堂地下の中央食堂へ入ったが、外部の人は13:30以降との事で、先に構内散策とする。
工学部1号館前の大イチョウを目指して歩く。
その前の木陰にはひっそりと「蛇塚」(お化け灯篭とも)。
加賀藩時代、不義を働いた奥女中を蛇のいっぱいいる部屋に閉じ込めて折檻の上処刑。その供養のためにこの塚は建てられたと伝えられるが、真偽の程は不明。
大イチョウを背にジョサイア・コンドル銅像。
J・コンドル(11852-1920/イギリス)は明治初期に「お雇い外国人」として来日、東大で建築を教えた。辰野金吾は彼に学んだ。彼の設計によるなるものは、鹿鳴館、岩崎邸(茅町,高輪)、ニコライ堂、三菱一号館等多数。日本の近代建築の礎を築いた。
面白い経歴の持ち主で、浮世絵師河鍋暁斎に弟子入りし「暁英」の号を受け、舞踊家 前波くめと結婚(41歳と37歳で)、日本文化を愛し、日本で病没した。
台座に面白いレリーフあり。
法文学部1号館、アーチの通路が美しい遠近法を見せる。国登録有形文化財。
その前のケヤキ並木を東進し突き当りを南に下ると、医学部付属病院前に出る。
第1研究棟の前に青山胤通(1859-1917)の銅像、すぐ隣に佐藤三吉銅像が並ぶ。
前者は新海竹太郎作。東京近代美術館蔵の美しい《ゆあみ》は誰も観た事があるだろう。
青山は森鴎外とは無二の親友の関係で、青山がドイツ留学した翌年に鴎外は同地に留学している。現地でもしばしば会ったに違いない。
実母 峰も、文才を高く評価した樋口一葉も、鴎外は彼を往診に行かせている。
付属病院管理研究棟の美しいレリーフ。
「診療・治療・予防」を表現していると言われるものだが、あれこれネット上を探しても作者が分からない。
その向い側の「御殿下グラウンド」の南に、ユリウス・カール・スクリバ(1848-1905/ドイツ)エルヴィン・von・ベルツ(1849-1913/ドイツ)の胸像が並ぶ。
前者(向って右像)は外科医で、ロシア帝国皇太子ニコライが日本人警察官 津田三蔵に斬り付けられた大津事件(1891)の際、政府の要請により現地に赴き、治療に当たっている。
名を「須栗場」とし日本人の妻(康子)を娶って、日本で病没した。
後者は草津温泉の泉質調査を行い、美容と健康に良いと立証した。「ベルツ水」なる化粧水を考案。
鴎外学生時代の師で、小説『雁』の主人公岡田(鴎外自身をモデルにしたとされる)はベルツ教授の推薦でドイツに留学する事になっている。
岡田と、高利貸し未造の妾お玉が擦れ違う「無縁坂」は、本郷キャンパスの南東、旧岩崎邸との間に実際にあるが、今回は行く事ができなかった。
お雇い外国人として29年間日本に滞在し、日本医学会の発展に尽力した。
戸田花子と結婚し、ドイツに帰国時は連れて帰った。
更に南に下ると、水原秋桜子(1892-1981)の句碑がある。
水原は東大医学部を出て産婦人科医となり、「ホトトギス」同人として俳句の道も深めたが、のち離脱。
この「胸像」とは近くにある師ベルツの像の事を言っており、ベルツの功績を讃えている。
「ヒポクラテスの木(スズカケノキ)」の石碑を回って裏手から深い林に分け入ると、そこはもう三四郎池(正式名は「育徳園心字池」)の公園である。
色づいた樹々、小さな滝、築山を巡る高低差のある小径、静かな池、ここが都心である事をすっかり忘れさせる。
時々散歩をする老夫婦や赤ん坊を胸に抱いた婦人と擦れ違う。
夏目漱石の『三四郎』(1908)で、福岡から出てきたばかりで女性にはオクテな三四郎がここで初めて美禰子を偶然目にし、謎めいた事を言う彼女に次第に惹き込まれていく。
のち、美禰子は本郷区真砂町(現文京区本郷)に住んでいる事を知る。
小さな丘を上っていくと濱尾新(1849-1925)の銅像の裏に出た。
濱尾は東大の第3代,第8代総長を務め、文部大臣にもなった。東大で一番大きな銅像らしい。1932年、堀進二作。
構内整備に注力し「土木総長」等とも言われた。イチョウ並木の生みの親でもある。
時刻を見ると13:30、部外者が中央食堂に入れる時間となったので、再度安田講堂地下の中央食堂へ。
学生らしくない人達もあちこちにいる。
鉢のおかずを自由に選び、プラスごはん中と豚汁。
これで708円。安くて栄養価に富む。
満足して食堂を出ると、正門迄歩き、外へは出ずに南へと折れる。
赤門手前にある総合図書館を確認。図書館は当日休館のため、明日行く事にしている。
更に南の端迄行き、懐徳館へ。年に1日しか開放せず、当日閉まっているのは承知の上。
外から、眺めて写真に収める。
加賀藩主前田家の庭園だったが、1926(大正15)年に東大に寄付された。庭園面積2,000坪。国指定名勝。
必要に応じ迎賓館として利用されている由。
懐徳園の南側向いにあるのが東洋文化研究所。1941(昭和16)年、東洋文化に関する総合的研究のために創設された。
入口脇左右にある獅子石像は2009年に設置されたという事だけが分かっている。かなり古く、明らかに日本のものではなさそうだが、説明は一切ない。
正門方向に戻り、現代的な「福武ホール」の「UTカフェ・ベルトレ・ルージュ」で一休み。
このホールはベネッセ創業者の福武總一郎(1945- )からの寄付、安藤忠雄の設計で造られた。その一角にあるカフェ。
UTとはUniversity Tokyoの略か?
紙カップに並々入ったブレンドコーヒーはMサイズ(390円)でも、飲みきれない程。
16:00、本郷キャンパスを出る。
正門前の本郷通を渡り、西へ細い道を入って少し行くと、すぐ右側に当日宿泊の「Fォーレスト本郷」がある。
1泊朝食付で7,700円。
16:30にホテルを出て、夕食を予約した「Hん亭」根津本店へ向かう。
本郷キャンパスと弥生キャンパスの間の「言問通り」を東へ、浅野キャンパスにぶつかる角には「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑がある。
もう暗くなってきた。
通りを斜めに下って歩くと、「不忍通り」との交差点に出る。角に地下鉄根津駅。
不忍通りを南へ折れて少し行くと、もう1人の参加者I田が手を振っている。
風情ある木造3階建ての「Hん亭」。
予約した串揚げのセットは1人当たり4,730円(アルコール別)。
何も言わなくても、肉・魚介・野菜の串が順次、計12本運ばれてくる。
どれも美味しいが、この歳になると12本は腹が張る。
ビールも学生時代のようには吞めない。
19:00過ぎ、満足し、お腹を抱えて外に出る。
珈琲館に寄り、カフェオレ(600円)をすすりながら、話せなかった3年間の話題の続き。(我ながら、まだあるか!と思うが。)
30分程して、店前でI田とは別れる。
(続く)
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